■小美玉市で育った教育者、菊池謙二郎(きくちけんじろう)
◇日本の教育者、歴史研究者
菊池謙二郎は1867年に現在の水戸市天王町で生まれた日本の教育者であり、歴史研究者です。大学予備門、東京帝国大学では司馬遼太郎の「坂の上の雲」に登場する正岡子規や秋山真之、夏目漱石らと交友を深め、植物学者で東京帝国大学教授の松村任三(NHK連続ドラマ小説「らんまん」の徳永助教授のモデル)方に下宿していました。その後、山口高等中学校教授、津山・千葉尋常中学校長、第二高等学校長、水戸中学校長などを歴任し、初代水戸市教育会会長を務めました。
1924年には衆議院総選挙に出馬し、衆議院議員も務めています。
また、藤田東湖を中心とした水戸学の研究者としても知られています。
◇父、菊池慎七郎と竹原村
謙二郎は水戸藩士として水戸藩の御連枝(ごれんし)、常陸府中(石岡)藩家老となった菊池慎七郎の二男として生まれました。父の慎七郎は大坂町無念流の剣道の達人で、弘道館の撃剣の講師の中に菊池剛臧(慎七郎の前の名)の名前が記されています。また、藩指南役として二百石取りの武士とされています。
1869年に慎七郎は、石岡藩付家老として大参事(だいさんじ)に就任し、石岡(現在の石岡市)へ転居しましたが、1872年には、石岡藩の大参事を辞職し、竹原村竹原(現在の小美玉市竹原)へ転居します。1881年に水戸へ転居するまで、謙二郎は多感な少年時代の9年間を竹原で過ごしました。
◇子規の水戸紀行
1889年、正岡子規は後輩の吉田と水戸まで徒歩で旅行し、親友の謙二郎の実家を訪問しました。子規の葉書が届いていなかったこともあり、謙二郎とはすれ違いでした。子規は、「水戸紀行」で、謙二郎の父の印象を「水戸の士の風なるべしとむかしゆかしく思われたり」と記しています。謙二郎宅を訪問した後、偕楽園を訪れた子規は、「崖急に梅ことごとく斜めなり」と句を詠み、この句は偕楽園の千波湖側の崖に句碑として刻まれています。
◇竹原村誌と謙二郎
謙二郎は、竹原で佐久塾の生徒として佐久憲次郎に孟子(もうし)の素読(そどく)を習いました。腕白(わんぱく)時代の謙二郎が当時から尊敬した人物として佐久憲次郎と島田隆一郎の二人の名をあげ、「品格があり、学識が高かった」と評しています。
佐久と島田はともに竹原村長を務め、古文書・史跡などをまとめた「竹原村誌」の作成に深く関わっています。二人は「竹原村誌」の跋(ばつ)を、少年時代を竹原で過ごした教育者として有名な謙二郎に依頼しました。1927年に刊行された「竹原村誌」には、謙二郎が書いた跋が記されています。
(市文化財保護審議会 会長 海老澤稔)
○語句解説
大学予備門:第一高等中学校。後の第一高等学校の前身。東京大学の予備機関として、東京開成学校普通科と官立東京英語学校を併せて、1877年に設立。
御連枝:貴人の兄弟を指した敬称。ここでは、御三家から分家した親藩のこと。
大参事:明治時代初期の時期に置かれた地方官の長官(知事)に次ぐ官職。現在の副知事に相当する。
跋:書物や書画の巻物などの末尾に記す文。あとがき。
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