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常陸大宮市 文書館だより Vol.58

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茨城県常陸大宮市

◆下村田の廃寺 安養寺
◇安養寺の創立と歴史
一乗山安養寺(いちじょうざんあんようじ)は、下村田字堂山付近に所在した浄土宗の寺院です。県道168号線から旧大宮工業高等学校(現在の株式会社茨城テック)方面に分岐する丁字路の約150m北側に寺院跡が所在したとされており、江戸時代の下村田村絵図には、「安養寺」の文字と本堂らしき建物の姿が描かれています。現在、寺院跡は集合墓地となっており、その一角には歴代住職の墓石や旧檀家による境内地整備の記念碑が建てられています。そんな安養寺の歴史は古く、応永(おうえい)18年(1411)の創建と伝わります。寛保(かんぽう)4年(1744)に作成された由緒書によると、地元の武士である山﨑丹波守(やまざきたんばのかみ)と山﨑四郎左衛門(やまざきしろうざえもん)が創建し、典誉(てんよ)という僧が居住したことが記されています。また、常福寺(那珂市瓜連)が所蔵する「水戸御領分浄土宗百七ヶ寺由緒書帳(みとごりょうぶんじょうどしゅうひゃくななかじゆいしょがきちょう)」(茨城県立歴史館寄託)によると、慶寿院(文禄2年創建)という末寺を抱えており、こちらも山﨑氏が関与したことが伝えられています。寛文(かんぶん)3年(1663)の時点で檀那(だんな)数は59人と少なく、一時は住職不在のため同村の福聚寺(ふくじゅうじ)(廃寺)住職が兼任していた時期もあったそうですが、中世~江戸時代を通して地元住民の信仰の場という役割を担いました。天保14年(1843)、安養寺は誕生寺(たんじょうじ)(上岩瀬地区)へ統合され、その長い歴史に幕を閉じました。

◇地区に伝わる安養寺の痕跡
安養寺の歴史を伝える古文書は非常に少ないですが、地域には安養寺の痕跡を現代に伝える資料が残されています。その1つが半鐘です。半鐘は太田金井下(常陸太田市金井町)の弥次衛門(やじえもん)による製作で、宝暦(ほうれき)9年(1759)8月に安養寺17世台誉(だいよ)の求めに応じて作られたことが記されています。半鐘は安養寺の廃寺後も下村田地区に残り続け、防災用の半鐘として活用されるなど、用途を変えて現在まで伝えられています。
なお、平成12年(2000)に旧大宮町が実施した調査によると、半鐘は安養寺跡近くの観音堂に所在したことが確認されています。この観音堂は安養寺の廃寺後に建てられたものであり、安養寺旧蔵と伝わる如来像(にょらいぞう)や誕生釈迦仏(たんじょうしゃかぶつ)などが伝来しています。

参考文献:
・瓜連町史史料集編纂委員会編『瓜連町史史料編』平成5年
・常陸大宮市史編さん委員会編『常陸大宮市史資料編2古代・中世』令和5年(髙橋拓也)

「常陸大宮市文書館だより」は、7月号から「ふるさと歴史だより」にタイトルを変更し、引き続き、市の歴史をご紹介していきます。

問い合わせ:文書館
【電話】52-0571

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