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市制施行70周年・合併20周年記念スペシャル対談~輝く未来へ(1)~

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茨城県常陸太田市

本市出身の音楽家・マシコタツロウさん(常陸太田大使)をお招きし、常陸太田にまつわる思い出や、市の未来に向けてのお話を郷土資料館(梅津会館)で伺いました。

■お二人の幼少時代や、思い出について
市長:私にとって思い出深い風景は、水郡線に乗っていて久慈川の手前のカーブのところから見える真弓山の採石場です。あれを見ると、太田に帰ってきたなっていう印象です。それから、私が子どもの頃はここ鯨ヶ丘に水道の給水塔があったんです(*昭和61年撤去)。その下に行くと、ポンプで水をくみ上げる「キュンキュン」という音が耳に残っていて、これは今でも夢に見ますね。
マシコ:私は旧佐都小学校出身で、毎朝7時ぐらいに出かけて片道3キロ近く歩いて通っていました。初夏の頃は、友達との会話を遮るぐらいの勢いでカエルが鳴いている中を歩いたなという思い出があります。目に入るのはとにかく緑というイメージですね。
市長:そうですよね。太田はどこへ行っても緑が多いですからね。
マシコ:そういえば、小学校5年生の時にここ梅津会館で真弓駒を作った思い出があります。
市長:その頃はもう「梅津会館」だったんですね。私にとってここの思い出は、父親の職場(市役所)です。この1階に市民課があって、裏に税務課があって市の歌「空があるまち」についてのエピソードを。
マシコ:うちの父も市役所に勤めていたんですけれども、最初の勤務先はここだったみたいですね。そういう歴史がある、思い出深い場所で対談できて嬉しいです。

■市の歌「空があるまち」についてのエピソードを
マシコ:平成16年に4市町村が合併して、一致団結して頑張っていくぞ!という中で23年に東日本大震災が起こり…。大久保前市長から「ここからまた市民の心を一つにして前を向き頑張っていくために、市の歌を作ってほしい」と依頼を受けて作った曲です。当時市内にあった25校の小中学校を3日間で全部回って、歌詞のリクエストを紙に書いてもらいました。1番の歌詞で「くじらの背中」というのは、ちょうどいま我々のいる鯨ヶ丘。竜神大吊橋は、「足すくむ橋の上」。2番の「金の鳥居」は、西金砂神社。「丘の上かざぐるま」はプラトーさとみ。皆さんが愛している場所を歌詞に混ぜ込んでいます。あと私は常陸秋そばが大好きなので、どうしても「蕎麦」を入れたくて。「幸せはいつだって一番〝そば〝にあるから」という歌詞があるんですけれども、実は常陸秋そばとダブルミーニングなんです。
市長:実は私が「空があるまち」を最初に聞いたのは大阪でなんです。県職員時代に企業誘致の仕事をしていた際に開いたセミナーで、県内各市町村がPRをする時間があって。みんな我が町自慢をする中で、常陸太田の職員が「空があるまち」のプロモーションビデオを流したんですよ。お客さん達がみんな真剣に音楽に聴き入っていて、すごく良い音楽だなって思いました。常陸太田の印象は格段に上がったはずです。
マシコ:ありがとうございます。作っただけで終わっちゃうものが多い中、常陸太田では色々な場面で活用してもらえて嬉しいです。例えば、正午と午後6時のチャイムとして私の曲が流れるのはとても嬉しかったですね。
市長:私が市長になってから、二十歳のつどいや賀詞交歓会などの市の公式行事の時には、必ず国歌の後に市の歌「空があるまち」をみんなで歌うようにしています。
マシコ:嬉しいですね。名実ともに受け入れてもらった証拠というか。常に市内で毎日流れていて、そういった式典でも歌ってくださっていて、本当にありがたいです。

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