■令和5年度 分館交流スポーツ大会の結果
◇親睦を深めた分館交流スポーツ大会
5月下旬から7月上旬にかけて、4年ぶりに5地区それぞれで分館交流スポーツ大会が開催されました。
競技種目は地区により違いはありますが、ソフトボール、ビーチボール、ゲートボール、マレットゴルフなどで各分館、力を合わせて競技されました。
地区ごとの大会風景、結果は次のとおりです。
▽田中地区分館交流スポーツ大会結果
5月28日
▽祢津地区分館交流スポーツ大会結果
6月4日
▽滋野地区分館交流スポーツ大会結果
6月25日
▽和地区分館交流スポーツ大会結果
7月2日
▽北御牧地区分館交流スポーツ大会結果
7月9日
■地区公民館を訪ねて
◇田中地区公民館
地元の地域をもっと知ろうと「田中地区ふるさと散策」を毎年行っています。今年は田中区の歴史を学ぶため60人を超える参加者のもと、堀田講師の案内により、今回目玉の東上館(とうじょうかん)の見学をはじめ田中宿や勝軍地蔵・石造仁王尊等を散策して歴史を学びました。
東上館の洋風三階建て建物は、普段から気になっていたとの感想が多く、和洋折衷の室内を見学し参加者がかつての社交の場に思いを馳せる時間となりました。(東上館は所有者のご厚意により見学させていただきました。)
■祢津ふれあい文化祭
祢津公民館では、十月七日・八日の両日「祢津ふれあい文化祭」が実施されました。
初日は、祢津公民館で開催されている生涯学習講座の皆さんの作品展示を中心に行われました。日頃の成果が十分に発揮された力作が並べられ、訪れる人が感心して見入っていました。
二日目は、「ステージ発表」と「祢津っ子チャレンジ広場」が開催されました。
ステージ発表では、祢津小学校の皆さんによる歌舞伎「土蜘蛛退治」の上演や「地区探検発表」をはじめとして、生涯学習講座の皆さんの発表が行われました。
「祢津っ子チャレンジ広場では、ストラックアウトや工作体験が実施され、綿あめ無料配布には、長い列ができていました。
多くの皆さんにご来場をいただきありがとうございました。
また、実行委員としてご苦労いただきました地域の皆様には心より感謝申し上げます。
■おらほの歴史探訪
◇特徴ある建造物
東御市文書館 文書館専門員 堀田雄二
前回までの2回は刀剣について記してきましたが、今回は江戸時代から現在までの建造物の特長について触れてみたいと思います。
江戸時代の建造物では、昭和48年に国重要文化財に指定された「春原家住宅」があります。保存解体修理の際に建築年代を示すものは見つかりませんでしたが、その特徴から、江戸時代の元禄年間(17世紀末)の建設と考えられています。茅葺屋根(かやぶきやね)で、約40坪と広く、台所(馬屋付土間)・茶の間・座敷・お部屋・寝床・北の間等からなり、部屋に窓や戸が少ないという特徴があります。長野県の東南部に見られる古い農家の特徴がよくあらわれており、その民家の中でも年代がきわめて古いと考えられます。
江戸時代後期から昭和時代初期にかけての建造物群が、調和がとれた形で残されている国重要伝統的建造物群保存地区に昭和62年に選定された「海野宿」は、北国街道の宿駅として寛永二年(1625)に開設されました。約2km東側にある「田中宿」の「間の宿」として一体でしたが、寛保二年(1742)の「戌の満水」で田中宿のほとんどの家が土砂で埋まったり流されてしまったため、宿場機能は海野宿が担うことになりました。「海野宿」と言いながら宿場時代の建物は多くありません。明治時代には広い部屋を利用した養蚕(ようさん)・蚕種業(さんしゅぎょう)が盛んになり、蓄積された財力で改築・改造されましたが、宿場時代の家並みや特長を残しています。ですから、国選定理由は「宿場・養蚕町」です。
明治26年(1893)から明治43年(1910)に順次建設された「児玉家住宅」は、平成12年に国登録有形文化財になりました。主屋(しゅおく)・土蔵・蚕室・馬屋(まや)・味噌部屋・表門・東門・西塀等12棟が登録され、当時の養蚕農家の形式が良く残っています。主屋の二階でも稚蚕飼育(ちさんしいく)が行われ、蚕室とつながれたケーブルで大きく成長したカイコや桑を蚕室に運んだそうです。主屋には美しい欄間や釘隠しがあり、土蔵外壁の下部は、平石を使ったなまこ壁です。現在でも、百歳の御当主をはじめ四代でお住まいです。
編集:生涯学習課 社会教育・公民館係
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