町内会の特徴や活動を紹介します。
■狩場沢町内会(世帯数123世帯)
狩場沢町内会は、狩場沢、折戸、陸奥ケ浦、助白井の4つの地区で形成されています。
狩場沢村の歴史は古く、浪岡北畠氏が1546年(天文15)頃作成したといわれる『津軽郡中名字』という本の中にも登場します。南部藩と津軽藩の藩境の村ということで、度々紛争の舞台となった村ですが、村自体は平凡な一漁村に過ぎなかったといわれています。(出典:平内町史)
◇Topic! 狩場沢権現舞
狩場沢は、隣村の馬門と折り合いが悪かったが、1901年(明治35)頃、熊野宮信仰者が権現舞を奉納し、若者に伝授して以降、津軽と南部の不仲が解消されたと伝えられている。
また、町内の喧噪が気になり、1976年(昭和51)、神楽部を組織して子供会に伝授、悪魔祓いをすると、町内の喧噪が鎮まったことから、「魔除け権現」の異名がついたという。
現在は、小学校の統合により、子どもへの伝授が難しく、伝統芸能の存続が課題となっている。
○折戸地区
明治30年頃、福館からの移住者が漁業のかたわら開墾して、一村をなしたといわれている
○陸奥ケ浦地区
1947年(昭和22)に満州からの引揚者など21戸が酪農を計画して入植。
現在酪農家は木立牧場の1戸のみ
○助白井地区
馬門へ通じる裏道があったとされ、村の起こりは相当古いと推定される
1794年(寛政6)、助白井堀差山中で、藩を揺るがす“ニセ銭鋳造事件” 発生
犯人の多くは南部藩へ逃げた
・狩場沢駅…1894年(明治27)開設、かつてはセメント樽材の輸送により、貨車取扱実績青森管内第4位という時代もあった
・熊野宮…1697年(元禄10)建立。古来から金精さんと称する陽性神を祀り、子宝の神社として参詣されてきた。1873年(明治6)に村社に列せられてから、イザナギ、イザナミの2柱を本体として祀っている
・藩境塚(通称:四ツ森)
南部、津軽両藩の境界を明確にするため築いた塚。二本又川の小川を挟んで、野辺地側に2つ、平内側に2つ、計4つの塚がある。1969年(昭和44)「青森県文化財」に指定
※詳しくは本紙をご覧ください。
◇町内会の事業
「築こう!明るく 活気ある 町内会へ」をテーマに
狩場沢町内会は、歴史的背景の異なる4つの地区からなる町内会ですが、日常生活の基盤である地域社会を住みよいものとするために、各地区が連携し、地域内での交流を大切にして活動しています。その一環として、地域交流会を年2回のほか、公民館主催のトランプ大会や狩場沢老人クラブ“サワヤカクラブ”で定期的なカラオケタイムなどを実施しています。
令和5年度の地域交流会では、町の集落支援事業補助金を活用し、7月2日(日)、フリーアナウンサーの千代谷直美さんを講師にお招きして、「話し方・聞き方教室」を開催しました。講義では、「普段何気なく話している言葉ですが、言葉を発することは、脳や五臓六腑の働きを活性化させ、長生きに繋がります」とのお話があり、配布されたテキストを使って、講師から一人ひとり順番にアドバイスをもらったり、参加者40人で声を合わせたりして、朗読を体験しました。
また、9月3日(日)には、敬老・地域交流会を開催し、99歳になる柴崎ヨシヱさん(助白井)を参加者全員でお祝いしました。花束を受け取った柴崎さんは「皆さんにお祝いされて、本当にうれしいし、こういう集まりは楽しい。来年も元気に参加したい」と話しました。
集落支援事業に関するお問い合わせは役場 企画政策課 企画政策係(【電話】718-1325)まで
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