■水稲農家
水稲農家 工藤憲児(けんじ)さん(45歳・西野曽江)
▽幅広い分野で学んだ20代
地元の高校を卒業した後、青森県営農大学校で花きを専攻し、その後はカメラレンズ会社、りんご卸売会社、製造業など様々な仕事を経験した工藤さん。「若い頃は農業にはこだわらなかったけれど、小さい頃から『最終的には農家をやる』という漠然とした思いはありました。私が小学生の頃は、畑やりんごもあったので、りんご収穫などの手伝いをしつつ遊んでいました。両親は農家を継ぐことについては『やりたいならやれば良い』というスタンスだったので、気負うことなく自由に会社を転々としていました」と工藤さんは笑います。
▽漠然とした志がついに
30歳になった時、工藤さんを心配した父親から、今後についてどうするのかを聞かれたといいます。「農業は作業自体は1年で覚えられるけれど、気温などの天候は毎年異なるため、臨機応変に対応する必要があって。覚えることが多くて積み重ねが物を言うので、できるだけ若いうちから始めたいという思いはありました」工藤さんは農業を始めることを決意します。
▽現状に合わせた米作り
農業を始めると、毎日米作りの仕事を覚えるのに必死だったといいます。工藤さんは現在、就農して17年目となり、父親と共に営農しています。栽培方法は全て、ハウスで育てた苗を田植え機で植える「移植栽培」。工藤さんは、「大規模に経営する農家では、今は田に直接種をまくなど省力化の方法が一般的になりつつあるけれど、移植栽培と比べると味は劣ります。ハウスの中で手をかけて苗を育てることで、雨風に強い苗になる。収穫までの生育が安定して美味しいお米ができるんです。」と教えてくれます。「ただ、近年栽培を難しくしているのが温暖化。昨年は水温が高くなりすぎて高温障害(米粒が白濁化する現象)が発生しました。このような異常事態にどう対応するかを考えた米作りをしなければなりません」
▽美味しいお米を作り続けたい
「刈り取りして数日後にすぐ新米を食べることができるのは農家の醍醐味です。炊飯器をパカっと開けた時、うまくいった年は本当に甘い香りがするんです」と嬉しそうに話す工藤さん。
今後については、「新しいことをやるより確実なものを作ることを大事にしたいです。一つ一つの行程を丁寧に行うことで、質が良く、食べる人が美味しいと思うお米を作りたい。どうやって昔から続く基本の『移植栽培』を維持しながら面積を拡大できるかというのが今後の課題ですね」と将来のビジョンを教えてくれました。
■庭師
万年青園(おもとえん)株式会社 福士和利(かずとし)さん(41歳・新屋町)
▽家業は造園業と左官業
高校卒業後、職業訓練校で造園を学び、造園技能士3級を取得した福士さん。平成19年には難関の造園技能士1級を取得して本格的に家業に本腰を入れ始めたといいます。「もともと福士家の家業は造園業と左官業があり、造園業は祖母が、左官業は父親が担っていました。高校までは父親の後を継ぐ予定でしたが、祖母の方が年齢が上なので先に引退しなければならない。造園業がなくなるのは嫌だ、と思って考えを改めました。その後、職業訓練校で造園を学んで面白さに目覚め、本格的に造園業を継ごうと決めました」
▽祖母の存在
「祖母は30代から造園をやっていました。最初は軽トラックに植木を積んで売り歩いていたようです」と福士さんは話します。万年青園の創設者である福士さんの祖母・和子さんは、現在は一線を退いているものの、大きな存在だといいます。和子さんは52歳の時、県内の女性で初めて難関の造園技能士1級を取得しました。その後、業界への貢献が認められ、県内女性造園師のパイオニアとして全国表彰された経歴もあります。福士さんは、「祖母と仕事をしたのは6年間くらい。本当に仕事が速い人。喋りもうまくて知識も豊富。新しい家が建つとすぐ営業に行き、その場で庭園のイメージを提案し、仕事を決めてきました」と和子さんのすごさを語ります。
▽外に出て学ぶ
当初は仕事を着実にこなすことだけを考えていた福士さん。しかし、当時の尾上町の商工会青年部や日本造園組合連合会の青年部に入会すると、県内外の同業者と積極的に情報交換するようになったといいます。「22歳の時、山口県で行われた技能五輪の造園部門に青森県初の代表として出場し、10時間で庭を造る経験をしました。ほかにも富山県発祥の軽トラガーデンを本県でも普及させるべく活動し、仙台で行われた全国軽トラガーデンコンテストでは青森県代表として携わりました」福士さんは精力的に学び続けています。
▽自分の庭を作りたい
「造園業の楽しさは、自然に関わること全部を仕事にできること。今後も自分で造る庭を増やし、お客さんの要望に叶う様々なジャンルに対応できるように試行錯誤したいです」と福士さんは目を輝かせます。今後については、「現在造園業は父親と2人で担っていますが、綺麗な庭がある状態、仕事がある状態を維持し続けることで若い世代につなげていきたい」と話しました。
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