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井田幸昌氏新年度対談 1

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鳥取県日吉津村

■井田幸昌氏の日吉津での思い出と、これからの村と子どもたちについて
○井田幸昌氏
日吉津村生まれ。東京芸術大学卒業。一期一会を大事にし、その日に出会ったもの・ことを描いた“End of today”シリーズなど、数多くの作品を生み出してきた。昨年2023年7月22日から米子市美術館、9月30日からは京都市京セラ美術館にて井田幸昌氏初の国内美術館巡回展「パンタ・レイー世界が存在する限り」が開催された。その井田幸昌氏が、日吉津小学校150周年記念行事に続き、新年度対談にも足を運んでくださいました!

◆国内初の美術館個展 井田幸昌展「パンタ・レイ」を終えて
中田村長:井田幸昌氏の故郷である米子市美術館と京都府の京都市京セラ美術館で大成功を収められていましたが、終わられての感想を教えてください。
井田幸昌氏:長いマラソンがやっと終わったなあという感じで、ちょっとほっとしているところですね。
中田村長:特に米子展では多くの村民の皆さんが足を運ばれたようですが、感想などは聞かれましたか?
井田幸昌氏:温かい声が多かったです。準備期間に3年~3年半ほど掛かって大変なことも多々あったのですが、米子展は地元ということもあり、愛にあふれた感じで、すごい報われたなと感じました。意見や感想もいろいろいただき、すごく嬉しかった。
中田村長:開催後、新しい発見が何かありましたか?
井田幸昌氏:反省も充実もあり、今後もどんどん前向きに、野心を持って進んでいけそうだと思っています。

◆日吉津の子どもたちと、自身の幼少期について
中田村長:日吉津小150周年式典で子どもたちと触れ合って、どうでしたか?
井田幸昌氏:本当にみんな元気でした。僕が教えに行ったつもりでしたが、子どもたちの素直さ、そして純粋な態度で物事を観察していく姿勢を見ていて、僕も純粋に仕事自体を楽しんでいかなきゃなぁと思いましたね。
中田村長:幼少期と現在で、日吉津村の好きな場所や思い出の場所はありますか?
井田幸昌氏:現在も幼少期と変わらないんですが、海も蚊屋島神社も好きです。思い出の場所は、昔の日吉津保育所駐車場のコンクリート。いつもそこで遊んでいたので、無くなっちゃったのが少し寂しいなと思います(笑)。
井田教育長:蚊屋島神社には辰が彫られていますが、幸昌さんは今年の年始に、筆で辰の絵を描き、X(旧Twitter)に掲載されていましたね。
井田幸昌氏:今年は新しいことをしようと考えているので、気持ち新たに、竜(辰)のごとく登っていくぞ! という抱負を込めています。
中田村長:子どものときサッカーをしていたと伺いました。
井田幸昌氏:鳥取セリオFCと日吉津小の2つを掛け持ちして、週6くらいの頻度でしてましたね。
中田村長:私は幼少期野球をしていて、蚊屋島神社の横を「神宮球場」と呼んでいました(笑)。プロサッカー選手を目指しておられたということで、遠征や大会には結構出場されていたんでしょうか?
井田幸昌氏:はい、色々出ていましたね。若かりし頃の高田直人監督(樽屋)から指導を受けていました。

◆目標のために大事なこと
中田村長:サッカー選手から芸術を目指された転機は何だったんでしょうか?
井田幸昌氏:自分は優等生とは真逆の青春時代だったんですが、パワーだけは人一倍あり、持て余していました。そんな中に親父がアメリカから帰ってきて、素行がよろしくない息子を見て画塾に突っ込んだんですが、それが転機だったと思います。ちょうど15年くらい前ですね。
中田村長:そこで絵の楽しさが芽生えたんですか?
井田幸昌氏:まあそうですね。僕本当に優等生じゃなくて。やるべきことが分からなかったので、とりあえず今目の前にあることをやらないと真人間になれないぞと、覚悟を決めるための第一歩のような感じでした。
好きなことややりたいことを見つけなさいとよく教育の場で言われますが、それよりも「やれることが何か」を気づかせてあげるのが結構大事かなと僕は思っています。僕にも夢や理想がありますが、それはすごい遠い未来の話で、世の中や、自分のやれることが日々変わっていく中で、自分にやれることを毎日淡々とやっていくことが成長に繋がると思います。それは子どもに限らず大人にも言えることじゃないですかね。
中田村長:目先のことをやっていく?
井田幸昌氏:そうですね。部屋の掃除と一緒で、ひとつひとつまずここからやってこうと掃除していけば、終わるころには違う世界になっていますよね(笑)。だから、やれることをやっていくべきかなあと思っています。

◆幸昌氏にとっての日吉津とは
中田村長:今までの人生の過程の中で苦難を数々乗り越えられてきたそうですが、その経験を経て感じられたことを教えてください。
井田幸昌氏:受験はすごく大変な思いをしました。今思えば小さいことで悩んでいたなあとは思うんですけど、過去の自分との比較しか人間はできないですし、今の僕にも悩みがあり、それは死ぬまで変わらないと思います。昨今、悩みに対してよくない選択をされる方も多いですけれども、自分の安息地のようなものはどこかに作っておいたほうがよいなと思います。僕にとっては日吉津村が安息地です。
都会にいると仕事ばかりになってしまうので、たまには日吉津村でのゆったりとした、何も考えない時間を作らないといけないなあと思っています。
中田村長:私も、日吉津村は暮らしの中に日本海や日野川があり大山も見えて自然に恵まれていると感じます。
井田幸昌氏:人によってそれぞれではありますが、大山の夕日を見ながら育ったのが僕にとっては良かったなあと思います。人それぞれに故郷があって、そこを愛せることが大事だと思うんですけど、そう思える心を育ててくれたのも故郷の日吉津だった気がします。
中田村長:影響を受けた方はおられますか?
井田幸昌氏:みんなですかね。今でも同級生には正月に会いますけど、やっぱり彼らから影響を受けたこともあるし、先生の言葉から色々勉強したこともあります。
中田村長:それぞれの人の周りに様々な人や環境があって、そこから多くのことを学び成長していくんでしょうね。
井田教育長:7月の日吉津小学校150周年記念行事にお越しいただいた際、子どもたちが実際に見たり体験したりすることは大切だなあと思いました。井田さんの特別授業に参加した6年生みんな、悩みながらも一生懸命集中して絵に取り組んでいたので、その姿に担任も驚いていました。
みんな揃って集中できていたのは幸昌さんの影響だと思います。あの特別授業のような経験をこれからもさせてあげたいと考えています。
井田幸昌氏:集中して生きている大人は格好いいので、記憶に残るんじゃないですかね。
井田教育長:青春時代はエネルギーを持て余していたとお聞きしましたが、そのエネルギーが個性と一緒に作品から飛び出してくるように感じています。京都展では展示方法が工夫されていたので、なおのこと感じました。その感想をぜひ伝えたかったんです。

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