■22 柊野仏飯講
9月中旬から下旬にかけて、20万本以上の彼岸花があぜを赤く染める柊野地区。秋分の日には、小学生が語り部となって地域の歴史などを説明しながら史跡を案内します。その中で語られるのが、柊野地区に伝わる仏飯講(ぶっぱんこう)です。薩摩藩では、1597年に浄土真宗が禁制となって以降、門徒たちは藩からの厳しい弾圧の裏で、ひそかに仏事や説法を行う仏飯講を組織して信仰を続けていました。柊野地区の仏飯講は、1846年に玉利源之助によって作られたとされ、178年経った現在でも講頭(こうがしら)1人、御番役(おばんやく)2人、御講仏様係(おこうぶつさまかかり)4人で活動が続けられています。年に5回開かれる法会(ほうえ)では講舎でお経をあげ、地域住民がお参りに来る姿が見られます。
『柊野地区の彼岸花』は、本紙またはPDF版掲載の二次元コードよりご覧ください。
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