■浮津(うきつ)港の守り神?天子(あまこ)神社
・鎮座地…垂水市二川1184(浮津)
・御祭神…景行天皇(第12代天皇)
・御神体…銅鏡
○天子神社の御祭神
天子神社は、名の由来は不明ですが、『垂水市史料集(八)牛根篇』では、魚とりの集落として漁民が集まり、「蜑子(あまこ)神社」(蜑(あま)は漁民のこと)とされ、のちに天子の字に代えたのではと言われています。
御祭神の景行天皇は、垂仁天皇(第11代天皇)の第3子で、82年頃に弥生時代に南九州征伐に赴き、肝付平野の長は降伏しましたが、国分平野の長は、降伏しませんでした。
その後、子どもの日本武尊(やまとたけるのみこと)が、再び父と同じ経路で、97年頃に熊襲(くまそ)(隼人)征伐に赴き、南九州を平定している事が伝えられています。
古代史の史料『国造本紀(こくぞうほんぎ)』には、「大隅国、国造りは代朝御世(景行天皇)隼人を治平」とあり、御祭神が天皇の御名であるのは、この地が古くから港としていて、景行天皇が上陸されたからなのかもしれません。
○宇喜多秀家公とのかかわり
慶長6年6月(1601年)関ヶ原の戦いで、西軍の大将の一人である宇喜多秀家公が出陣しましたが、東軍(徳川)に破れて、西軍として一緒に戦った薩摩藩へ逃げて来ました。薩摩藩でかくまうことになりましたが、鹿児島の鶴丸城には迎えずに、この時、浮津港に上陸している牛根麓(辺田)の平野屋敷にかくまいました。牛根は、自然の要塞で隠れる所として最適な場所(逃隠の地)と言われ、隠蜜も入りづらい場所でした。
その地は、宇喜多氏から、「浮(宇喜多)津」(うきつ)と、地名が付いたとも言われています。
○天子神社の梛(なぎ)の木
天子神社の神殿の後ろに、樹齢500年ほどの「梛の木」があります。幹回りが3.5メートルもある垂水市には少ない巨木です。
梛の木は、古くから熊野信仰と結びつき、霊木して多くの神社に植えたといわれています。裂けにくい事から「縁が切れない」縁起の良い木とされ、縁結び、夫婦円満の木として、崇められています。
また、「なぎ」は「凪」と例えられ、船乗りが航海安全を司る木として、葉や実をお守りとして、身に付けたり、供えたりして航海の安全を願ったそうです。
▽参考資料
『垂水市史料集(八)牛根篇』
『国造本紀』
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