■芋焼酎の蒸留技術はどこから?
「だいやめ」という方言が表すとおり、私たちの生活になじみのある芋焼酎。その製造工程を簡単に説明すると、まず米で発酵に必要なこうじを造り、こうじと酵母を合わせ一次もろみを造り、次に主原料であるサツマイモを加え二次もろみを造り、蒸留・熟成を経て完成です。この「蒸留」工程があることが日本酒造りとの大きな違いになります。では、蒸留技術のルーツはどこにあるのでしょうか。
現在確認されている中で芋焼酎の製造法に関する最も古い記録は、寛政7年(1795)に江戸の本草家佐藤成裕(ほんぞうかさとうせいゆう)が著した『金藷録(きんしょろく)』です。これには「皮をむいた甘藷(かんしょ)と蒸米・米こうじ・水を合わせ数日たった物をオランダ人が用いる「ランビキ」で蒸留し、その湯気をとって焼酎とする。各家庭でも大抵この方法で焼酎を醸(かも)している。」との記述があります。「ランビキ」とは蒸留器のことであり、ここでは「ツブロ式蒸留器」を指すと考えられます。
釜にもろみを入れて加熱すると、蒸発したアルコールがツブロ(薩摩の古語で「頭」の意)と呼ばれるドーム状の冷却器に上昇し、水で冷却されてつゆとなって流れ落ち、管から垂れてきた物が焼酎になるという仕組みです。ツブロにはスズ製や陶器製の物があります。ツブロを用いた蒸留器は、これまで鹿児島県以外の地域ではほとんど見つかっていませんでした。
ところが近年、ツブロによく似た蒸留器が中国福建省で発見されたのです。福建省は江戸時代に鹿児島藩の支配下におかれた琉球王国の人々が、貿易のため中国に訪れた際に滞在する施設があった場所とされています。このことからツブロは中国福建省から琉球を通じて鹿児島に伝わり、芋焼酎造り用の蒸留器として定着した可能性が考えられるようになりました。
芋焼酎は、風土にあった農産物であるサツマイモと、海に開けた土地柄を生かして海外から導入された蒸留技術とが組み合わさって生まれた鹿児島独自の「文化遺産」とも言えるのです。
参考文献:鮫島吉廣2020『焼酎の履歴書』イカロス出版
指宿市考古博物館時遊館COCCOはしむれでは、3月24日(日)まで企画展「海が織りなす焼酎文化~芋・技・肴・器~」を開催中です。
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