福富則義(ふくとみのりよし)さん(雅号(がごう) 福富 河童(かっぱ))
教員生活37年。県内各地で出会った方言は数知れず。
今回は、川内弁(せんでべん)を愛し、今も研さんを続ける福冨さんの、ふるさと薩摩川内市への思いに寄り添います。
「小学生の時は、わざと方言を使ってふざけるような悪戯坊(われこっぼ)だった」と、今の表情からは想像のつかない子ども時代を話す福冨さんは故郷の方言についてまとめた「残しもんそや川内(せんで)ん方言(ほげん)」の著者でもあります。
■せんで弁の魅力と面白さ
福冨さんは「内密の会話の際に、わざと早口の短呼(たんこ)で言い合ったり、言葉の響きからなんとなく状況や心情が想像できたりと、鹿児島方言の奥深さゆえの面白さが詰まっている」と話します。
川内弁の特徴として代表的な例は、形容詞に「か」を付けること。例えば、「寒い」を鹿児島弁で表現すると「さみ」ですが、川内弁では「さんか」と言います。
他にも川内弁しか使わないような『喧嘩ちょべ(=喧嘩大将)』や『いっぽん(=ひとつも)』などはその代表的な言葉です。
■方言がつなぐ縁や思い入れ
福冨さんは、教職時代、県内各地に転勤し、面白い方言に触れたそうです。「赴任先では、共通語で会話をするよりも、その土地の方言を使うことで人間関係がより深まったものです」「方言がほとんど使われなくなった昨今、方言が消失してしまうことへの危機感はもちろんですが、『思い入れのある方言を後世に残したい』という思いで、著書を残しました」と話します。
■我が故郷を思う
薩摩川内の魅力について尋ねると、「他の地域から『せんでガラッパ』と呼ばれ、悪いイメージ(=人の足を引っ張る)があると思いますが、それだけで言い表すことはできない」と福冨さんは話します。「川内川は先祖代々、流域の人々に肥沃(ひよく)な土地と豊かな実りを与えてきたが、ひとたび大雨が降ると暴れ川となり、その流域に住む人々に甚大な被害を与えてきました。しかし、人々はそれにひるまず、助け合いや努力と英知で復旧に努めてきました。そのような風土は、相互扶助、不屈の魂や胆力、機知の精神を培い、これこそが『せんでガラッパ』の真髄だと考えます。また、幼い頃たびたび洪水に見舞われた当時の市街地、賑わいのある町、緑の山や澄みきった川の風景が今でも脳裏に焼き付いています。そして、薩摩国府や川内大綱引などの歴史遺産や多くの文化もしっかりと受け継がれています。そんな風土や川内人気質が好きです。市街地の賑わいの復活や文芸の振興を心から願い、現役世代の豊かな発想や行動力に期待しています」と、これからの故郷への思いを話してくれました。
■これからも残していきたい
後世に残したい方言を尋ねると、「「ぐらしか」=(可哀想)や「あったらし」=(もったいない)、「げんなか」=(恥ずかしい)、「とじんね」=(寂しい)など人や物を思う心や心情が垣間見えるような単語の他に、「ごろいと」=(とうとう)、「ずるっ」=(全部)、「ぶんと」=(全然)などの用語、「やちゃぐぁん」=(お手上げ)や「ちんぐぁらっ」=(こなごな)などの味わいある方言を残していきたい」と。
福冨さんは「方言を使う格好の場でもある『薩摩狂句』に関わりながら、まだまだ方言についての魅力を探っていきたい」と笑顔で話してくれました。
※薩摩狂句(さつまきょうく)とは、人を素材にし、笑いや穿(うが)ち、皮肉や人情味などを加え、鹿児島方言で詠む五七五の詩です。
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