■近代萬古焼の祖 山中忠左衛門
萬古焼といえば、紫泥急須や土鍋、近年人気の高いご飯鍋など食生活に彩りを与えるものが思い浮かびます。萬古焼そのものは江戸時代後期の茶陶から始まりますが、現在の萬古焼の礎を作ったのが山中忠左衛門でした。
忠左衛門は、幕末、末永村(現在の川原町付近)の住民の困窮や失業者の増加を憂え、彼らの救済のため製陶の研究や修練を重ねました。そして明治3年(1870)ごろに、水車村(現在の浜一色町)に窯を築いて住民に仕事を与え、彼らの暮らしを助けました。
その後、四日市には次々と製陶業を営む者や名工が現れました。
忠左衛門の窯で焼かれた製品の多くは「山中製」や「一左楽(いちさらく)」と捺(お)されています。海外への輸出を視野に入れた作品が多く、ユニークな形や模様で見る者を楽しませます。
忠左衛門は今は陶栄町の萬古神社に祀(まつ)られ、萬古焼の発展を見守っています。
問合せ:文化課
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