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(いがいと!) 知られざる明智光秀のおはなし vol.9

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京都府福知山市

■明智光秀と丹波攻め 第1次攻略戦
明智光秀が福知山とかかわるきっかけとなった「丹波攻め」。これは光秀が織田家家臣として成し遂げた最も大きな功績であり、天正3年(1575)から天正4年(1576)の第1次攻略戦、天正5年(1577)から7年(1579)の第2次攻略戦という中断期間を含め4年の歳月をかけた長期事業でした。
発端は天正3年6月に織田信長が本格的な丹波国攻略を計画したことです。当時の丹波国は反信長方の勢力が割拠しており、信長はこれらを平定するため明智光秀を丹波国に遣わしました。
光秀の本格的な軍事行動は同年10月頃より開始されます。当初の丹波国における光秀の攻略対象は足利義昭(あしかがよしあき)の動きに同調した船井郡の内藤氏、桑田郡の宇津氏といわれていますが、ほどなく氷上郡の荻野・赤井氏が主要目標となったようです。同年11月には荻野直正(おぎのなおまさ)の居城黒井城を包囲し、丹波国の土豪の過半が光秀方につくなど順調に推移しますが、天正4年1月に光秀方であった多紀郡の波多野氏が裏切り、光秀は敗走。第1次攻略戦は失敗に終わります。荻野直正はこの地では赤井悪衛門と称された丹波国有数の武将で、このときの戦いぶりは「赤井の呼び込み軍法」と称され、後世に語り継がれることになりました。

参考文献
『明智光秀の生涯と丹波 福知山』

問合せ:文化・スポーツ振興課
(【電話】24-7033・【FAX】23-6537)

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