文字サイズ
自治体の皆さまへ

歴史と未来の架橋(10)山野里大坪遺跡出土祭祀遺物2

14/32

兵庫県上郡町

前回紹介した木製祭祀遺物と同じく、山野里大坪遺跡で発見された祭祀場跡からは、墨書(ぼくしょ)土器も大量に見つかっています。墨書土器とは、須恵器(すえき)や土師器(はじき)などに墨で文字や記号などを書いた土器を指します。
山野里大坪遺跡で出土した墨書土器には、「曺(そう)」や「蔵生」、「高田家」など役所に関連した文字が書かれていましたが、特に多かったのは「開田」という文字です。「開田殿」「開田家」「開田」と書かれたものが多数見つかっています。おそらく、当時は「開田」という地名だったのでしょう。
山野里大坪遺跡の立地は狭い谷の出口にあたり、湿地帯であったと考えられます。奈良時代よりも古い遺構は発見されておらず、古墳時代以前は人の手がほとんど入っていなかったと考えられます。そこを奈良時代以降に開発していったため、「開田」という地名となったのではないかと考えられます。現在、「開田」の地名は残っていませんが、出土した資料によって1,000年以上前の地名が判明したのです。

<この記事についてアンケートにご協力ください。>

〒104-0061 東京都中央区銀座3-4-1 大倉別館ビル5階

市区町村の広報紙をネットやスマホで マイ広報紙

MENU