文字サイズ
自治体の皆さまへ

ふるさと

11/20

北海道羅臼町

「えとぴりか」その名に込めた思い…

(筆者紹介)
千島歯舞諸島居住者連盟
髙岡唯一(たかおかただいち)氏
昭和10年に歯舞群島多楽島で生まれる。昭和20年まで北方領土の1つである「歯舞群島多楽島」で過ごし、第2次世界大戦終了後、当時のソ連軍の侵略により同年9月に根室市へ引き揚げる。その後羅臼町に移り住み、現在に至る。
毎年、修学旅行生や北方領土返還要求県民会議などの青少年に対し、年10回程度の語り部講師を務めるなど北方領土返還要求運動の啓発・普及に日々活躍している。

私は、1992年10月北方四島交流等訪問事業(ビザなし交流)、1993年8月行政・議会及び関係団体代表者四島訪問団47名の一員として今後のビザなし交流・墓参・自由訪問の3事業の継続を要望する目的で択捉島・国後島・色丹島に訪問しました。当時私は58歳。高齢の関係者として参加となりました。
今後これらの事業に参加される元島民の高齢化を考えると、当時使用していた漁船を改造した船舶では、乗船中の宿泊・食事等における居住の安全・安定性が確保できないことから、新しい使用船舶の建造を、強く国に要請することとしました。そして、千島歯舞諸島居住者連盟我々の熱意と要望を受けて、国が使用船舶の建造を決定。その後、船名の応募があり、私は、10歳の望郷が脳裏に蘇りあの綺麗な鳥を思い出しました。
ふるさと多楽島の海辺で遊んでいたとき水面すれすれに飛んでいた鳥を見て父親に「あの綺麗な鳥は何という名前?」と聞いたら、「あれはエトピリカという鳥で島々を自由に渡り回っている」と教えてもらいました。その懐かしい思い出を振り返り、応募した船名が「えとぴりか」。自由に多楽島、志発島、勇留島、水晶島、色丹島など・・・奇麗な船えとぴりかが北方領土の海を航行する姿を思い「これだ」と決めて応募しました。

◎船舶「えとぴりか」でつながるふるさとへの道
現在も継続して取り組まれている北方四島交流等事業で使用されている船舶「えとぴりか」。その名の背景には、元島民の当時の思い出やいまも心の中にある想いが強く込められていることを今回の高岡さんのお話を聞き、初めて知ることができました。
「えとぴりか」は元島民とふるさとを結ぶ大事な役割を担ってくれているようです。

<この記事についてアンケートにご協力ください。>

〒104-0061 東京都中央区銀座3-4-1 大倉別館ビル5階

市区町村の広報紙をネットやスマホで マイ広報紙

MENU