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Letter from M MIY♡SHI 130th ANNIVERSARY(2)

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埼玉県三芳町

【「三芳」誕生秘話】
人に歴史あり、まちに歴史あり。
130年前に誕生した三芳村。
その裏側を紐解いていきます。

◆ミライノイブキ
今から約150年前。明治維新が起こり長く続いた江戸幕府が崩壊し、明治という新しい時代が幕を開けました。
ミライの息吹(いぶき)を感じさせる大きなうねりのなか、三芳町は明治22年(1889)4月1日、江戸時代から続く竹間沢村・藤久保村・北永井村・上富村の旧四か村合併して三芳村となり、現在の町域を形成したのです。
では、どのようにして「三芳」の名、そして三芳村が誕生したのか。昔にちょっとタイムスリップしてみましょう――。

◆明治時代の町村統合
時は明治11年(1878)。郡区町村編成法制定以来、明治政府は全国の町村統合を進めました。各町村に戸長、副戸長が置かれていましたが、明治17年(1884)に連合戸長制の下、いくつかの町村を一つの役場でとりまとめる連合戸長役場が置かれるようになりました。
一町村連合はおよそ五百戸・五町村を目途に、三芳四か村は藤久保・北永井・竹間沢村が針ヶ谷・坂ノ下・城村と共に『藤久保村連合戸長役場』に、上富村が南永井・日比田・亀ヶ谷・本郷村と共に『南永井連合戸長役場』のもとに置かれました。

◆今も残る独立を貫いた証
藤久保村連合では藤久保・竹間沢・針ヶ谷が川越藩領、北永井・坂ノ下・城が代官支配で、南永井連合村はすべて代官支配地。連合戸長制で役場の数は急激に減りましたが、町村数はさほど減らず、この頃の埼玉県内の町村数は1913でした。
町村合併を進める明治政府は、明治21年(1888年)に町村合併標準を設置。合併後の新名称は同規模の町村がいくつか合併する場合、それぞれの旧名称をうまく組み合わせ民情に背かないように、合併各町村の旧名称は大字としました。三芳の大字に旧村名が残るのはこれに由来し、昭和・平成の大合併でも独立を貫いた証です。
そして明治22年(1889年)、竹間沢・藤久保・北永井・上富の旧四か村が合併し三芳村が誕生するのですが、この四か村の合併は最初から決まっていたことではありませんでした。
連合戸長制以来、連合していた村が明治22年の最終合併案では藤久保・北永井・上富・南永井で富永村を作り、竹間沢は坂ノ下・城・本郷・亀ヶ谷・日比田と共に柳瀬村に編入され、竹間沢だけ今まで連合していた村と分離され、そのうえ飛地となってしまうところでした。
そこで、県から独立町村編成案を諮問された藤久保村連合戸長は管轄内の「町村議員総代人及重立(おもだち)タル者」に意見を求めたそうです。
その意見は編成案に対して、「竹間沢は新村から見ると飛地のようになってしまい不便。藤久保村と耕地や山林が接続していて地域的なつながりもある」ことから富永村への合併を強く要望したと言われています。

◆三芳村、誕生。
新しい村の名前をどのようにするのか――。
様々な意見や調整が行われ、この地域(現在の川越市を中心に坂戸市南部、ふじみ野市、富士見市、三芳町)が平安時代の伊勢物語に登場する三芳野里(みよしののさと)と伝えられることから、新村名は「三芳村」となりました。そして、最終的に竹間沢・藤久保・北永井・上富の四村が一つとなり、三芳村が成立したのです。

◆成長を続ける三芳
合併時の三芳村の人口は、2829人。現在の三芳町の人口はおよそ3万8千人ですからこの130年の間で約13倍の人が三芳で暮らしていることになります。
成長を続けながらも、今も名を残す「三芳」。三芳村が誕生したとき、当時の村民の皆さんの瞳に未来の三芳は、どのように写っていたのでしょうか。

▽広報みよし創刊号
昭和34年4月25日に広報みよしは誕生しました。当時はB5のわら半紙に印刷したものでした。創刊号のあいさつの中で当時の江原貞一第25代村長は「村がどのように動き、どのような計画をもっているのかということを村民の皆さまにお知らせするのは私共の責務と思い、広く皆さまの助言をいただき村行政の参考にしたい」などと述べています。

▽伊勢物語に「三芳野」
三芳野と言うのは、芳野(美しい・うるわしい野原の意)に接頭語の『み』(とてもの意)がついたものと考えられ、とても美しい草原が広がっているところの意味があります。平安時代の伊勢物語第十段には、在原業平が武蔵の国へ行き、ある女性に求婚しました。

三芳野のたのむの雁もひたぶるに
君が方にぞ夜と鳴くなる
業平返歌 我方によると鳴くなる三芳野の
たのむの雁をいつか忘れん

と、その女性の母が三芳野が出てくる歌を詠み、この娘が住んでいたのが入間郡の三芳野の里であるとされています。

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