ユーザー登録
文字サイズ
自治体の皆さまへ

みよし歴史探訪

14/35

埼玉県三芳町

■三芳誕生130年
~幕末動乱期の三芳(3)~

開国後の経済混乱は物価高騰を招き、不安定な政治状況に加え、度重なる重い人馬賦役は農村を疲弊させた。そのうえ慶応2年(一八六六)は麦が不作で、農村の生活は極度に困窮していた。6月13日、上名栗村(現飯能市)を発端とし農民が農具や大工道具を持って「世直し」「世均し」を呼号して立ち上がった。7日間で十数万人を巻き込んだ「武州世直し一揆」の始まりである。
一揆は窃盗や人身を傷つけないことを原則とし、物価高騰の元凶とされた横浜貿易に携わる生糸商人の家財雑具を打ち壊し、穀屋・質屋・在方の商家に対して米の安売りや施金・施米、質地証文や借金証文の廃棄などを要求し、拒否した場合は横浜商人と同様に打ち壊した。
一揆勢は、14日には飯能と扇町屋(現入間市)にて打ち壊しをかけ、さらに所沢へ進出した。所沢に向かった一揆勢は3組に分かれて入間川(現狭山市)、下安松・中富(現所沢市)へと向かった。このうち、中富へ向かった一揆勢が三芳地域にも進んだのである。
上富の武田家文書「武州打毀(こわ)シ之事」の中に、一揆の様子が記されている。14日夜、上富村名主格組頭次右衛門家に一揆の先発隊15名が押しかけた。「金三千両施し、白米三日間百文につき一升売り、三十日間は百文につき五合売りにすれば打ち壊しはしない」との要求に、次右衛門が白米の安売りは承知と返答したため、引き上げていった。ところが翌早朝、斧やのこぎりを手に次右衛門宅へ大勢が押しかけた。記録では、柱が傷つき、建具・諸道具は全て壊され、衣類は引きちぎられ、醤油や小麦なども全てまき散らされたという。
この一揆について三芳では「ボッコシ」の名で衝撃が伝えられており、江戸近郊で起こった大規模な一揆として、幕府にとっても大きな衝撃であった。

問合せ:文化財保護課
【電話】258-6655

<この記事についてアンケートにご協力ください。>

自治体からのお知らせ欄
コメント
〒103-0013 東京都中央区日本橋人形町2-20-5 石川ビル3階

市区町村の広報紙をネットやスマホで マイ広報紙

ユーザー登録
MENU