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特集ー未来につなぐ新田開発物語(2)

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大阪府大東市

■教えて 大東市の新田開発
Q.新田開発はなぜ行われたの?
A.宝永元年(1704)、幕府は、氾濫の多い大和川の流れを人工的に変える大工事を行いました。これにより干上がった深野池の跡地に、甲子園球場約85個分の広い新田が生まれました。この新田は5つのエリアに分けられ、享保6年(1721)、深野南新田(平野屋・谷川・南新田地区)と河内屋南新田(東大阪市元町地区)が大坂の両替商・平野屋又右衛門の所有地となり、新田の管理事務所として平野屋新田会所が設置されました。

Q.平野屋新田会所って何するところ?
A.新田会所は新田の管理全般を行います。年貢の集積、武家の接待などに加え、災害時には住民の避難所にもなりました。平成20年に取り壊されるまで、平野屋1丁目には敷地面積2000坪以上の平野屋新田会所の広い屋敷が残っていました。

Q.平野屋新田会所は今どうなっているの?
A.現在は千石蔵と道具蔵の基礎と船着場の階段、坐摩(ざま)神社の本殿だけが残っています。特に坐摩神社の本殿は、現存する唯一の平野屋新田会所の建物です。屋根の前方が長く伸びる建築法(流造(ながれづくり))を用いています。平野屋又右衛門が今の大阪市にある坐摩(いかすり)神社から神様を迎え、会所の屋敷神となり、後に深野南・河内屋南新田の守り神となりました。
市民サポーターが大正7年の写し絵図や発掘調査資料を基に作成した、平野屋新田会所の全体想像図を見ると、全体は広大で、残っているのはほんの一部であることがわかります。

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