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枚方に古代都市!?百済寺跡(くだらでらあと)の謎に迫る2

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■古代都市を考える4つの手掛かり
◇手掛かり1 十字路の先に百済寺北門
平成13年~14年、中宮北町の住宅開発に伴う発掘調査で東西南北に走る幅約6mの十字路を発見。南側をまっすぐ延ばすと百済寺北門と直結し、長さは古代の土地区画の単位「町(約110m)」のちょうど5倍に。「都のような碁盤の目のまちがあったのでは?」と本格的な調査が始まるきっかけになりました。

◇手掛かり2 建物・道路が同じ向き
十字路跡の発見後、想定する方形街区を裏付けるような道路や建物の跡が見つかっています。平成22年~23年の市立ひらかた病院(旧枚方市民病院)建て替えに伴う発掘調査では、4700平方メートルにも及ぶ宅地跡から約70棟もの掘立柱建物跡を発見。そのほとんどが街区の方位と同じ向きをとっていました。

◇手掛かり3 正倉院の宝物と同じ!奈良三彩(さんさい)の壺
「三彩」とは唐で盛んに作られた高級焼物のこと。日本では釉薬(ゆうやく)が美しい「奈良三彩」が有名で、昭和61年に保健センター建設用地で発見されました。東大寺の正倉院に残った奈良三彩の壺に類品が見られます。百済寺がこうした有力寺院と肩を並べる存在であったことを物語っています。

◇手掛かり4 桓武朝廷とつながり?木簡(もっかん)も出土
十字路を発見した場所の近くでは文字が書かれた木の札「木簡」とその削りくずが見つかりました。真ん中の木簡には律令体制下で郡司の長官を意味する「大領」の字が。貴族や役人の邸宅であった可能性が高いですが、自立的に字を覚えた人々が早くから多くなる日本の国の特色を示しているのか、興味が尽きません。

■古代の謎に切り込む鍵 きっと枚方に
井戸「桓武天皇は、奈良にあった都(平城京)を長岡京、そして平安京へと北の山城に移し、時代を大きく転換させました。天皇とかかわりが深い百済王氏が造った百済寺や禁野本町遺跡はその大きな歴史の画期と関係が深いようです。古代史は謎が多い。そこに切り込む「鍵」は枚方にも数多くあります。調査を続け、古代の扉を一つ一つ開いていきます。」
本田「『古代都市)の謎が全てとける日が楽しみですね!」
タカシ「百済寺を中心に、当時の日本で都くらいしか例のない最先端の都市整備がなされていたんですね。感動しました。これほどの壮大な歴史が私たちの足元に眠っていることを市民の皆さんに伝えていかなければ。本田さん、PRよろしくお願いしますね。」
本田「はい、頑張ります!」

問合せ:文化財課
【電話】841-1411【FAX】841-1278

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