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いにしえの風 斑鳩文化財センターだより

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奈良県斑鳩町

♦斑鳩に築かれた「龍田城」とは
近年のお城ブームの中、斑鳩町にもかつて「龍田城(たつたじょう)」という城があったことをご存じでしょうか。今月号では、龍田城にまつわる話や付近で行われた発掘調査の成果についてご紹介します。

♢龍田城のはじまり
龍田城は、中世に龍田地域を治めていた龍田氏にはじまると考えられています。龍田氏は興福寺に属し、寺の警護や荘園(しょうえん)の管理などを行っていました。ただし、城(館)の位置など、詳しいことはわかっていません。
その後、龍田城(陣屋)は、関ヶ原の戦いの翌年(1601年)に龍田の地を与えられた片桐且元(かたぎりかつもと)により築かれました。しかし、約50年後には、片桐家の後継ぎがなく断絶したため、龍田城も取り壊され、建物などは残っていません。ただし、廃城後すぐの様子を描いたとされる「元禄(げんろく)九年龍田村古図」(※元禄九年=1696年)には、当時の土地の利用の様子をうかがい知ることができます。そして、現在でも、濠の一部が溜池として残されていて、「追手(おうて)」や「広間(ひろま)」などの城に関する地名(字名)も残されています。

♢発掘調査でわかったこと
竜田川の東に、国道25号から北へ直角に折れ曲がる「猫坂(ねこざか)」と呼ばれる坂道があり、この道は片桐氏時代に街道を整備した際につくられたと考えられています。この付近で道路拡幅工事にともなう発掘調査が行われ、折れ曲がらずまっすぐ斜めに東から西に下がっていく道路跡が見つかりました。この道路は、「猫坂」よりも古い時代のものと考えられることから、龍田氏時代の道路であった可能性があります。また、いかるがパークウェイの建設工事にともなう発掘調査では、武家の屋敷地を区画していたと思われる溝のほか、井戸跡や埋甕(うめがめ)が据え付けられた便所と考えられる遺構が発見されています。また、斑鳩町が実施した龍田城跡の発掘調査では、龍田城に関わると思われる大型の石組み井戸や、塀と考えられる柱列などが見つかっています。

現在でも、龍田城の具体的な姿は謎に包まれていますが、今後の発掘調査により次第に明らかになることが期待されています。

問合せ:斑鳩文化財センター
【電話】0745-70-1200

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