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鎌倉時代とほうふ~源平合戦と防府~

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山口県防府市

現在、放送中であるNHKの大河ドラマ「鎌倉殿の13人」は、私たちの住む防府市にもゆかりがあるドラマです。
ドラマでは、源平合戦(治承(じしょう)・寿永(じゅえい)の乱)が佳境を迎えています。今回は、防府の地が壇ノ浦の戦いの前に大きな役割を果たしていたことをご紹介します。

■船所五郎正利が源義経に船を献上
周防国衙の役人(『吾妻鏡(あづまかがみ)には船奉行とあります)の船所五郎正利(ふなどころごろうまさとし)が、壇ノ浦の戦いの3日前に源義経(みなもとのよしつね)に船を数十艘献上し、義経から鎌倉殿の御家人にするという文書をもらっています。船を調達できた義経は、翌日、大島津(おおしまづ)で周防(防府と想定されています)に駐留していた三浦(みうら)義澄(よしずみ)と合流し壇ノ浦に出発しています。この船所五郎正利が拠点にしていたとされるのが、国府中学校の南にある「史跡(しせき)周防国衙跡船所(すおうこくがあとふなどころ)・浜ノ宮(はまのみや)」です。現在も「船所」という小字(こあざ)名が残り、その時代の屋敷跡、船材や鉄鏃(てつぞく)(文化財郷土資料館で展示中)などが見つかっています。

■平家討伐軍総大将・源範頼の活躍の足跡に防府が
壇ノ浦の戦いは義経の華々しい活躍が有名ですが、源氏の勝利の裏には平家討伐軍の総大将である源範頼(みなもとののりより)の活躍がありました。壇ノ浦の戦いの2か月ほど前、九州に渡った範頼軍が蘆屋浦(あしやうら)(福岡県遠賀郡芦屋町(おんがぐんあしやまち)付近)の戦いで勝利を収め平家の背後を抑えたことで、平家は壇ノ浦からの逃げ場を失ったとされています。
北条(ほうじょう)義時(よしとき)・三浦(みうら)義村(よしむら)・和田(わだ)義盛(よしもり)などがいる範頼軍の九州上陸には、豊後の武将・臼杵(うすき)氏や緒方氏の協力がありましたが、この時の範頼軍の出発点は水陸交通の要衝である防府と想定されています。また、源範頼の関係文書として全国で唯一残っている下文(くだしぶみ)(命令文書、写真を文化財郷土資料館で展示中)には、「大前郡司(おおさきぐんじ)」と記されています。「大前」とは防府市の大崎との説があり、源範頼の足跡を感じることができます。
平家滅亡後、三浦氏の一族の平子氏(たいらごし)が地頭(じとう)として仁保荘(にほのしょう)(山口市仁保付近)などのほか、多々良荘(たたらのしょう)(多々良付近と推測)も賜っています。国衙の有力な役人である多々良氏(後の大内氏)を牽制する意味があったようです。
大河ドラマでは、松崎天満宮(防府天満宮)が出てくる予定(市広報3月1日号参照)とされています。水陸交通の要衝で国衙があった防府は重要な場所であり、縁の下の力持ちのような役割を果たしていたことが分かります。周防国衙跡をはじめ、阿弥陀寺や防府天満宮など市内の各所にこの時代ゆかりのものが残っています。
この機会に訪れてみてはいかがでしょうか。

■文化財郷土資料館企画展『源平から鎌倉へ~そのとき防府は~』
開催期間:10月2日(日)まで(月曜休館※祝日の場合は、翌日)
時間:9時30分~17時(入館は16時30分まで)
入館料:観覧無料

初公開!!船材の実物 ※期間限定展示
激動の時代に防府が果たした重要な役割とは!?古文書、遺跡の出土品が語る防府の凄さ…いざ資料館へ!

問合せ:文化財課
【電話】25-2237【FAX】23-4300

問合せ:おもてなし観光課
【電話】25-4547【FAX】23-0262

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