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【飯豊遺産】いいで・ヘリテイジ

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山形県飯豊町

◆宇津峠の通行人(2)
前回お話ししたように、今回から数回にわたり、宇津峠の通行者とその人物が残した宇津峠の記録についてのお話をしたいと思います。江戸時代に宇津峠を通った人物として地理学者の古川古松軒(ふるかわこしょうけん)が有名です。
享保11年(1726)に岡山で生まれ、若い頃から素行不良で薬を商いながら博打(ばくち)にふける生活を送っていたのですが、44歳のときに博打をやめて生活を正すことを決意。

測量技術を身につけ、各地を旅し「山野地里津河」「四国の道記」「西遊雑記(さいゆうざっき)」などの書物を著して有名になりました。。特に絵図を描く能力が評価され、ついには東北方面の幕府巡検使(じゅんけんし)の随員に選ばれるのです。巡検使は幕府が諸国の情勢調査のために派遣する視察官のことです。古松軒は天明7年(1787)に巡検使に同行して「東遊雑記(とうゆうざっき)」という書物を著し、その中で宇津峠について次のように記しました。

「手ノ子村から白子村へ三里余り。この間富通峠(宇津峠)という上下二里の坂がある。…所々桟道にて肝をひやす難所である。この山道は米沢から越後へ越える難所で通行人もまれ。二、三十人づれで往来することもない。しかし米、薪、材木まきの類は甚だたくさん…御年貢は…越後の村上へ出し舟で大坂に廻(まわ)す。」
宇津峠は天保期からの改修工事によって交通の便が良くなったことを前に説明しました。しかしその前の宇津峠では、米を越後へ運搬するなど物流の役割は大きいものの、より古い細い道を使っていたのです。古松軒の記録はこの時代の宇津峠を描いた数少ない貴重なものなのです。

問合せ先:社会教育課生涯学習振興室
【電話】72-3111

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