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感動をありがとう。プリンセス・メグ引退(1)

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広島県江田島市

■江田島市が誇るアスリート栗原恵 Megumi Kurihara
プリンセス・メグの愛称で親しまれ、2004年のアテネ五輪、08年の北京五輪では日本代表のエースとして日の丸を背負った栗原恵さんが、引退を発表。栗原さんが活躍する姿は、いつも私たちに、勇気と誇りを与えてくれました。感動を、ありがとう――。

バレーボール女子日本代表のエースとして活躍してきた栗原恵さんが、6月10日(月)、東京都内で引退会見を開きました。「本当にやりきった晴れやかな気持ち」とすがすがしく話す栗原さん。昨シーズンはJTマーヴェラスでプレーし、5月の黒鷲旗(くろわしき)大会が現役最後の試合となりました。
黒鷲旗大会は準決勝で敗退。試合後、チームメイトに囲まれた時、「負けてしまったので、悔しい思いもあったけど、振り返ってみんなの顔を見たときに、みんなのことが大好き、本当にありがとう、と素直に自分の口から伝えることができたので、最後の舞台をそういう言葉で締めくくれたのが幸せです」と、最後の試合を振り返りました。

▽やって後悔するか、やらないで後悔するか。
小学4年からバレーを始めた栗原さんは、父がコーチをしていた地元バレーボールチームの鹿川フラワーズに所属。その後、能美中学校に進みます。そして、中学2年の時、大きな決断をすることになります。
バレー強豪校の大津中学校(兵庫県姫路市)からの誘いを受け、単身バレー留学を決意。原さんは、その時のことをこう話しています。
「島を飛び出した中学生の時に、母から『やって後悔するか、やらないで後悔するかは自分で決めなさい』という言葉をかけられました。その一言のおかげで今の人生があるので、本当に感謝しています」
当時はまだ中学生。泣きながらの決断だったといいます。しかし、行くと決めたら絶対に帰らないと心に決め、転校後は、後悔する暇もないくらい練習に励みました。そして、中学3年時には、アクエリアス杯でオリンピック有望選手賞を受賞するまでに成長しました。

▽プリンセス・メグの誕生
高校は名門・三田尻女子高校(山口県防府市・現誠英高校)に進学し、1年時のインターハイ・国体・春高バレーで優勝。さらに2年時にはインターハイ優勝と、高校4冠のメンバーとして活躍するなど、注目を集めるようになります。
そして、01年には、ついに全日本女子に初選出され、その翌年の02年には、日米対抗で代表デビューを果たしました。03年には、Vリーグ(プレミアリーグ)のNECレッドロケッツに入団し、同年5月の黒鷲旗大会では若鷲賞を受賞。
さらに、ワールドカップバレーボールでは、全日本女子のエースとして、同級生の大山加奈さんと共に活躍。この頃から、「プリンセス・メグ」という愛称が定着し、「メグ・カナ」ブームが到来。日本のバレーボール人気の火付け役にもなりました。

▽自身初の五輪出場 アテネ五輪で5位入賞
全日本女子のエースを担った栗原さん。幼い頃からテレビで見ていて「すごいな」と感じていた選手の中に自分が入ってプレーすることに、自分は今すごいことをしているんだ、と思う一方で、重圧もあったといいます。その重圧を背負いながらも、全日本女子は2大会ぶりの五輪となるアテネ五輪への出場を決め、04年8月のアテネ五輪ではエースとして出場。自身初の五輪で5位入賞を果たしました。
また、同年11月には、パイオニアレッドウィングスに入団し、第12回Vリーグでは、2季ぶりの優勝に大きく貢献。最高殊勲選手、サーブ賞、ベスト6賞を獲得する活躍を見せます。

▽決していい時ばかりではない けがを乗り越えての北京五輪
しかし、06年、2年ぶりに全日本女子に選ばれるも、合宿中に左足有痛性分裂種子骨障害を発症し、約半年間のリハビリ生活を余儀なくされました。
その後、07年に再び全日本女子に復帰すると、同年9月、第14回アジア女子選手権大会で24年ぶりの優勝に貢献します。そして同年11月のワールドカップバレーボールで活躍すると、08年のワールドグランプリでは、決勝ラウンドでベストスコアラー賞とベストサーバー賞をダブル受賞。同年8月に行われた北京五輪で、自身2度目の五輪出場を果たし、2大会連続となる5位入賞に貢献しました。

▽原動力になったのは支えてくれたファンの存在
09年、全日本女子の副主将に抜擢されるも、今度は左膝半月板を断裂し、10年に手術。リハビリは半年に及びましたが、これを乗り越え、同年10月の世界選手権に出場を果たすと、全日本女子は32年ぶりに銅メダルを獲得します。
しかし、11年1月には左膝の違和感に見舞われ、左膝軟骨損傷を手術するなど、けがの絶えない状態が続きました。栗原さんは治療に専念するため、パイオニアを退団しましたが、同年9月にはロシアのスーパーリーグ「ディナモ・カザン」に入団。
海外でプレー後は国内に拠点を移し、12年には岡山シーガルズ、14年には日立リヴァーレに所属。16年1月23日のデンソー戦で、通算出場試合数が230試合に到達し、Vリーグ栄誉賞を受賞するまでになりました。
決して順風満帆ではなかった選手生活。引退会見では、けがとの戦いを振り返り、「たくさんの方にコートに立つ姿が見たいと言ってもらえるのが励みになりました。その都度、ファンの方や支えてくださる方に恵まれて、ファンの方の存在自体が大きな原動力になったと思います」と、応援してくれた皆さんへの感謝の思いを話してくれました。
17年間のプロ人生で、多くの花を咲かせた栗原恵さん。その功績をたたえ、8月11日(日)には、「‐MEGU DREAM CUP‐第15回江田島市スポーツセンター杯小学生バレーボール大会」も市スポーツセンター(能美町中町)で開催されます。

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