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今治の宝日本遺産村上海賊~文化の足音シリーズ~第7回

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愛媛県今治市

村上海賊のさまざまな活動のうちの一つとして、海上で軍事力を行使する「水軍」としての側面があります。海の難所で培った巧みな操船技術を活かして活躍した海上の戦いはたくさんありますが、今回はその中でもよく知られる「第一次木津川口合戦」をご紹介します。

■「水軍」としての村上海賊
◆「第一次木津川口合戦」―村上海賊・毛利水軍VS織田水軍―
天正4年(1576年)、織田信長が派遣した軍勢によって包囲された石山本願寺に兵糧を運び込むため、中国地方の戦国大名・毛利輝元は大坂に向けて水軍(当時の呼び方は「警固衆(けごしゅう)」)を派遣します。
村上海賊は、三家(能島・来島・因島)ともに毛利方に協力。大阪湾の木津川河口で待ち構えていた織田方の水軍を破り、無事、石山本願寺に兵糧を運び込むことに成功しました。

▽村上海賊の秘密兵器「ほうろく」
「海上はほうろく火矢と云(い)う物を拵(こしら)え、御身方の舟を取り籠め、投げ入れ投げ入れ焼き崩し、多勢に叶わず…」(『信長公記』)
信長の家臣が執筆した軍記の中で、村上海賊は「ほうろく火矢」という武器を織田方の船へ投げ入れて攻撃し、焼き崩したと書かれています。当時の船は木製のため「焼き崩す」武器は恐ろしいですね。

▽第一次木津川口合戦を描いた絵図「難波(なにわ)船軍図」
昨年(2019年)、第一次木津川口合戦を描いた絵図を村上海賊ミュージアムに寄託していただき、新たに収蔵しました。
大阪湾につながる木津川の河口を塞ぐように織田方の船がずらりと並び、それに相対する毛利方の船が描かれています。村上海賊の戦いを描いた絵図は少なく、とても貴重なものです。

■日本遺産フェスティバル in 今治 プレイベント
「第一次木津川口合戦を描いた作品!」
村上海賊ミュージアム企画展
コミック版『村上海賊の娘』の世界
7月11日(土)~8月30日(日)

※日本遺産「村上海賊」公式ツイッターについては、本紙に掲載の2次元コードを読み取ってご覧ください。

問合せ:文化振興課
【電話】0898-36-1608【FAX】0898-24-2008

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