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九州北部豪雨から10年(1)

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熊本県阿蘇市

■悲しみ新たに教訓つなぐ 九州北部豪雨災害追悼行事
凄まじい豪雨の中、避難を呼びかけ続けた防災無線。あれから10年を経て、スピーカーから流れたのは祈りのサイレンでした。
死者21人、行方不明者1人。阿蘇市に甚大な被害をもたらした平成24年九州北部豪雨から7月12日で10年。午前10時に市内全域でサイレンが鳴らされ、災害の犠牲者への祈りが捧げられました。
四季彩いちのみやで開かれた追悼行事には遺族や関係者約70人が出席。サイレンに合わせて全員で黙とうを捧げました。
式典では、一の宮町三野で土砂崩れで父を亡くした白石勲さん(古城4区)が遺族を代表してあいさつ。「父があの時避難していれば命をおとさずに済んだと思う。あの災害の教訓を後世に伝え、これからも命を守る行動を必ず実践していく」と誓いました。

◇災害のことを知ってほしい
式典後、長崎県から出席した山部経浩(つねひろ)さんは一の宮町手野の実家を訪れ、花を手向けました。山部さんはこの家に2人で暮らしていた父親の山部十七男さんと母親の美佐子さんを土石流で亡くしました。
両親のいる実家を離れ、長崎で暮らしていた山部さん。避難の呼びかけが届いてさえいれば、両親は避難していたと考えています。
「父親はいわゆる肥後もっこす。頑固な人でした。それでも台風のときなど、市から避難の情報などがあればよく避難していました」。それだけに今でも後悔していることがあると言います。「あのときは長崎でも大雨が降っていた。避難せなんよと電話でもしていれば…」
10年前、当時生まれたばかりだった孫を盆には見せに行くという話をしていたという山部さん。いつかは孫も阿蘇に連れてきて災害のことを伝えたいと考えています。
「自分の命を守るために、災害のことを知っておいてほしい」

■経験から学び、生きた防災にもう1つの災害記録誌
◇災害の記録、後世へ
「7月12日、今から10年前の今日、私は4歳でした」
追悼行事で、市の将来を担う世代の代表として誓いの言葉を述べた一の宮中3年の住夏綺さん(北2区)はこう述べました。
あれから10年、当時のことを知らない若い世代が増えていきます。災害を経験した世代も、月日が経つにつれて記憶はどんどん薄れていきます。将来にわたり安全な暮らしを実現するために、教訓を後世に伝えていくことが必要です。
当時の記録を残すべく作成された冊子が2つあります。1つは、災害からおよそ1年半後に市が発行した「九州北部豪雨災害記録誌」です。
もう1つが、ボランティアの手で作成された「阿蘇07・12九州北部豪雨災害記録集~阿蘇からの知験~」です。ボランティアの中心となって作成を進めたのが「災害NGO結(ゆい)」の代表・前原土武(とむ)さん。前原さんは東日本大震災でのボランティアをきっかけに「災害NGO結(ゆい)」を立ち上げ、以来、国内各地の被災地で災害からの復旧・復興を支援する活動を続けています。九州北部豪雨災害のときも前原さんはすぐに阿蘇に入り、現場を走り回りました。必要な支援について調査し、速やかな支援につなげました。

◇教訓が生かされていたのか
特に被害の大きかった古城地区・坂梨地区には何度も足を運びました。そこで地域の人々が平成2年に発生した7・2水害の話をするのを聞き、約20年前に災害が起きたということを知りました。より詳しく調べようにも当時の資料がほとんど見つからず、「当時の教訓が生かされなかったのでは」と考え、災害記録集の制作を決めました。
制作は資金を集めるところから始まりました。災害のがれきを加工したキーホルダーをイベントで販売。関係者へのインタビューは、文字起こしまで全てボランティアが行いました。構成やレイアウトも災害支援を通じて全国で知り合ったボランティアがインターネットを通して協力。思いが詰められた手作りの記録集は平成26年に完成しました。86ページにおよぶ記録集には26人の証言を掲載。それぞれの証言から得られた教訓を記しました。前原さんは「災害で被害を受けたこと、そこから復興していったことを忘れないでほしい」と強調します。
記録集はこんなことばで締めくくられています。「『経験』から学び『生きた』防災に繋げよう/明日を生きる者のために」

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