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特集 林業遺産を育んだ村(1)

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福岡県八女市

■日本の近代化を支えてきた八女林業
2017年度林業遺産に「矢部村における木馬道(きんまみち)と木場作(こばさく)林業」が認定されました。八女における林業の中核地である矢部村には、林業で使用されてきた道具類や写真資料、開道記念碑などが大切に残されており、当時の様子を知ることができます。豊かな森林と水に育まれ、日本の近代化を支えてきた八女林業の大きな遺産となっています。

◇明治―林業の幕開け
江戸時代、山林は藩によって厳重に管理され、盗伐には死罪などの重い刑が課せられました。矢部村では柳川藩によって禁伐にされた林内で、陸稲やアワ、ヒエ、イモ、コンニャクなどを作る木場作により生活を営んできました。明治になって、巨船・鉄道・橋梁などが造られるようになり、八女地域でもスギやマツなどの植林が進み、木材の伐採や製材などの林業が盛んになっていきました。
当時の矢部村は村の総面積の27パーセントを国有林が占めており、スギ・マツなどの木材は国有林から出されていました。その頃木材の伐採は、製材業の始まりとされる職業『木挽(こびき)業』の鑑札を持つ人しか行うことができませんでした。今のように車も機械もない時代、伐採した木材は、木馬(きんま)と呼ばれる木のそりに乗せて人力で引いて、山から運び出していました。
軌道線が明治22年に久留米・博多間を、明治24年に博多・小倉間を走ったときは、矢部村から栗の木の枕木をたくさん搬出しました。明治36年には黒木・矢部間に郡道(県道)が開通し、黒木や福島まで馬車で木材を運ぶようになりました。
明治37年に矢部村の臼ノ払(うすのはらい)に製材所ができ、村民の大部分が山仕事と製材によって生活するようになりました。
明治43年、国は臼ノ払にある「正粉官山(しょうふんかんざん)」(国有林)から木材を出すために林道を開くことを地元と合意し、官民併用林道を開設しました。林道は延長3600メートルの道で、木材運搬だけではなく、多くの村人が生活道路として昭和35年頃まで用いるなど、地域の林業や生活の向上に寄与しました。

◇大正―電柱材生産の始まり
大正初期には、電気産業の発展に伴い電柱材生産が始まりました。八女地方では、木場作により年輪幅の広い木材が育ち、防虫加工がしやすいために電柱材として高く売れるようになりました。
昭和初期になると、矢部村・星野村に熊本逓信局指定の電柱用材丹注入工場ができ、年間数千本を生産していました。

◇木場作で食料をまかなう
八女地方における木場作の歴史は江戸期にさかのぼります。木が育つ間に作物を作る木場作は、耕地の少ない中山間地では貴重な食料となりました。
水田による自給率が村民の2か月半分しかなかった矢部村では、明治以降も国有林内で切り替畑(焼畑)や木場作を行いました。国有林にとってはこれが下刈り、地ごしらえ(土地を耕し準備する)となり、村人にとっては国有林の伐採や木材搬出により現金収入を得ることができたのです。
昭和18年以降の戦中・戦後にかけて、矢部村は大勢の疎開民を受け入れました。この時代の食料の自給も木場作によってまかなわれていました。

◇戦後―林業全盛期
昭和25年から30年になると食料自給の必要が薄れ、荒れ果てた山に戦後復興のために造林が推進されました。昭和30年代に入ると高度経済成長の時代で木材の需要も高まり価格も高騰、林業の全盛期を迎えました。
矢部村は八女林業の中核地でしたが、昭和35年日向神ダムの建設、昭和47年に鯛生金山の閉山、電柱材需要の急減などにより、村は過疎化し景観も大きく変わっていきました。

◇平成―衰退と再生に向けて
平成に入り木材需要の減少や山の担い手不足、台風による山林被害などにより、林業は衰退していきます。そのような状況であっても矢部村では「ふるさと創生」への取り組みとして、山村の文化を象徴する「杣(そま)」をキーワードに都市との交流を進めてきました。そして、地球環境保全や自然災害などから山林の重要さが見直されてきている時代。林業によって育まれた山村の文化に、再び光が当てられようとしています。
矢部村の林業遺産の登録期間は、明治43年から昭和35年まで。その間に使われた林業関連の道具、写真資料や開道記念碑などが登録され、厳しいなかであっても心豊かであった当時の山村文化を今に伝えています。

■福岡県で2番目の認定
林業遺産とは、日本の林業発展の歴史を示す景観や施設、地域独自に発展してきた林業技術や特徴的な道具、古文書などを遺産として認定する制度です。日本各地の林業の歴史を将来に記憶・記録するため、日本森林学会がその設立100周年を記念し、2013(平成25)年から認定を始めました。
「矢部村における木馬道と木場作林業」は2017年度24番目の認定。福岡県では東峰村の「小石原の行者杉」に続き2番目の認定となりました。

◇認定対象
資料群:木材搬出の木馬道に関する写真資料、木馬道による搬出および造林・木場作当時の村民生活に関する資料群
道具類:伐採搬出道具
建造物:開道記念碑

■「林業以外に生きる途(みち)がない」-林業に尽力した矢部の人々
初代村長坂本虎之助は村の開発に尽力し、今日の林業の基礎を築きました。また、矢部村林業の父といわれるのが中川耕一郎氏です。中川氏は明治35年ごろ矢部村に吉野杉を移植し、県下第一の林業村としました。明治37年、八女郡で最初に臼ノ払集落に製材所を設けました。また、ロシアに渡って八女茶の販路拡大にも尽力しました。
昭和25年3月5日付の八媛新報には、矢部村の林業について次のように記されています。「この村で人工杉植林を始めたのは明治19年頃からです。先覚者中川耕一郎さんが熱心に植林を奨励されたお陰で、現在では県下産額の1割を占めております。(途中省略)ー矢部村は林業以外に生きる途がないので、造林開墾に力を注いでおります」

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