文字サイズ
自治体の皆さまへ

未来の平和のために 戦争の記憶 引き継ぐときー(1)

4/42

群馬県前橋市

◆77年前、前橋で起きた事
終戦からわずか10日前の昭和20年8月5日。この日の本市は朝から晴天で風も無く、とても蒸し暑い日だったそうです。21時に警戒警報、21時45分には空襲警報が鳴り響きました。22時30分、本市上空東側から爆音を轟かせながら、92機のアメリカ軍機B29が次々とやってきました。アメリカ軍は1時間半以上攻撃を続け、約724トンの爆弾を投下。木造家屋が大部分であった市内は瞬く間に炎に包まれ、市街地の約8割が焦土と化しました。当時の前橋地域の死者は535人。負傷者は600人以上。先人たちが築いた街並みは破壊され、かけがえのない多くの命が一晩にして奪われました。
この空襲で最も多くの死者を出した場所は、広瀬川に架かる比刀根橋わきの防空壕(ごう)と細ケ沢十字路(住吉町一丁目)の水路でした。市内で模範とされていた比刀根橋の防空壕周辺は、一面火の海となり、壕内に入った多くの人々が煙と熱気で窒息死しました。また、十字路では、市外へ逃げる途中の人たちが、猛火に巻かれ水路の中で死んだのです。そして、10日後の15日、日本は無条件降伏し、終戦を迎えました。
(出典:「戦災と復興」昭和39年発行)

◆今も残る、空襲の記憶
原田 恒弘さん(住吉町二丁目)
「当時は国民学校2年の7歳でした。22時頃に空襲警報が鳴り、アメリカ軍の爆撃機が前橋の上空へ飛来。私は広瀬川の比刀根橋わきの防空壕に逃げ込みました。ここは市内でも随一の防空壕で、ここへ避難すればいかなる攻撃にも耐えられると言われていました。そのため、収容人数に対して倍の人々が押し寄せました。空襲が進むと炎が壕の中へ入ってきて煙が充満し中の人々はかまどの中にいるような状態になりました。助かったのは自分を含めた数人。中で多くの人が苦しみながら死んでいったのを今でも覚えています。」

◆戦争体験者からワカモノへー
終戦から77年、戦争体験者は年々減少し、戦争の記憶は徐々に薄れています。しかしこれは未来の平和のため、忘れてはいけない記憶。さまざまなかたちで、記憶を後世へ伝えるときです。

本紙の市民編集員・ワカモノ記者が戦争体験者へインタビュー。空襲や当時の生活について話を聞きました。
文:ワカモノ記者・梶田結衣、中村しずく

田村敏枝さん(富士見町横室)
6歳のときに当時居住していた市街地で前橋空襲を体験し、生家を焼失した。

◇6歳の空襲体験
田村さん:「普段とは違う様子に、子どもながらに緊張していたと思います。枕元には常に防空頭巾や靴など、すぐに逃げられる準備をしていました。空襲は夕方から夜の間にあるため、電気の明るさで人の位置が特定されないよう灯火管制がありました。そのため、警報で起きると、薄暗い中で着替えて防空頭巾をかぶり、母と弟と一緒に外へ出ました。利根橋の方向に明るく大きなものがユラユラとうごめいているのが見えて、何だろうと不安に思ったのを覚えています。少し行ったところに防空壕がありましたが、人が入りきらず、母は防空壕のふたのようになってしまった記憶があります。私は爆弾の落ちる音が怖くて泣いていましたが、近くの建物にも火が回ったため私たちはさらに先へ逃げました。道中には風呂敷包みや私が当時欲しくてうらやんでいたキックボードも捨ててありました。捨てていかなければ逃げ切れなかったのだと思います。逃げた先でようやく腰を下ろし振り返ると、前女の校舎が真っ赤になり一斉に火を噴いたのが見え、家も燃えてしまったのだろうと思いました。一夜明けて家に戻ろうとしましたが焼け跡の中では見当がつかず、残った電信柱を目印に帰りました。そこで見回りをしていた父にも無事に会えました。コンクリートには火の焼け跡が残り、かまどに仕掛けていた米が炊けていたほどの火力でした」
他にも、焼夷弾が校庭に田植えをしたように刺さっていた光景やガスタンクの爆発によって担架を引く人々のシルエットが見えたことなど、空襲の日のことは鮮明に覚えていると語る田村さん。幼い自分にとってそれだけ強烈で、怖いものだったと話します。

◇現代を生きる若い世代へー
田村さん:「戦争が起きるような状況では、言論統制などで真実が伝わりづらくなります。戦いで多くの人が被害に遭い、人間が変わってしまう怖さがある。だから、難しいことだけれど、本当のことを知る「正しい目を持つ」ことが大切だと思います」

◆ワカモノ記者編集後記
中村:77年前の記憶を鮮明に、紙面では書ききれないほどたくさん話してくれました。それほど当時の経験が悲惨で強烈なものだったのだろうと感じます。このような経験談を忘れないためには、若者が後世に引き継ぐ必要があります。家族や親戚など、身近に戦争を経験した人がいれば、ぜひ一度話を聞いてみてほしいです。
梶田:戦争は一生人の心の傷として残るのだなと実感しました。また、もっと早く当時のことを思い出して語り継ぐ必要があったと話していたことから、私たち若者は戦争について考え、知り、学び、情報を正しく読み取る力が重要だと思いました。

※田村さんのインタビューの様子は本市公式YouTubeで公開しています。

問合せ:秘書広報課
【電話】027-898-5847

<この記事についてアンケートにご協力ください。>

〒104-0061 東京都中央区銀座3-4-1 大倉別館ビル5階

市区町村の広報紙をネットやスマホで マイ広報紙

MENU