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【tsulunos PLUS】話題の道に注目! ツルノメ(1)

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群馬県

■道の数だけ歴史あり!物語がある! ぐんま道物語

取材協力・画像提供:伊勢崎市、安中市、高山村、みなかみ町、玉村町、世良田東照宮

古くから交通の要所として栄えてきた群馬。
江戸時代になると、江戸から全国へ延びる五街道や脇街道が整備されました。
また江戸を守るために全国に設けられた関所は53。そのうちの14が群馬にあったことからも、いかに群馬が交通の要所であったのかが分かります。今も残る古い街道や文化財には、多くの人が行き交ったさまざまな物語が残っています。

◇「街道を歩く」群馬県歴史の道シリーズパンフレット(全15冊)
群馬県を通る街道を紹介するパンフレット。分かりやすい地図と豊富な写真で主要文化財と旧街道について紹介しています。県庁県民センターや、県立歴史博物館などで販売しています。
・8分冊セット(600円・税込)
・7分冊セット(525円・税込)

◇街道豆知識 関所とは?
峠などの交通の要所に設置され、人や荷物を取り締まった施設。一般の旅行者が関所を通過するには通行手形が必要でした。

◆江戸幕府が整備した五街道の一つ 中山道(なかせんどう)
◇参勤交代そして皇族のお輿(こし)入れ重要人物が江戸へ向かった道
江戸幕府により、江戸と全国を結ぶ道として整備された五街道。その一つ中山道は、江戸と京都を結び、東海道の裏街道の役割を果たしました。山の中を通る内陸の道で、険しい峠や危険な箇所があったにもかかわらず、天竜川などの大河川が多い東海道に比べて、河川の障害が少ないことなどから、多くの往来がありました。江戸時代、前田家や真田家などの北陸・信州の大名は参勤交代の際、この道を利用しました。その数は、30家に及んだといわれています。また、幕末の皇女和宮など、朝廷から将軍家に嫁ぐ際は、東海道ではなく中山道が使われました。

◇群馬県内は7つの宿場町 碓氷関所は四大関所の一つ
県内には、新町・倉賀野・高崎・板鼻・安中・松井田・坂本の7つの宿が置かれ、碓氷峠下の横川に碓氷関所が設けられました。中でも板鼻宿は、当時旅籠(はたご)が約50軒あり大変にぎわっていたといいます。また、碓氷関所は東海道の箱根関所と並んで、関東への入国を厳しく監視していました。坂本宿から熊野神社までの碓氷峠の道は、車道から隔離され、現在でも当時の姿をしのばせています。

[動画で解説]
やさしい古文書講座「第1回中山道五料村往還通絵図」(県立文書館)
詳細は本紙2ページ掲載のQRコードをご参照ください。

◇街道ゆかりびと 約3万人の行列を引き連れ輿(こし)入れ
幕末の文久元年(1861年)、公武合体の考えから、幕府からの要請により、時の将軍・徳川家茂(とくがわいえもち)の元へと嫁いだのが孝明天皇(こうめいてんのう)の妹・皇女和宮。中山道を前代未聞の大行列で、板鼻宿などに宿泊し江戸に入りました。
皇女和宮(こうじょかずのみや)(1846~1877年)

◇街道を歩けば…
・碓氷関所跡
江戸時代の「四大関所」の一つ。東西に門があり、西を幕府、東を安中藩が管理していました。現在は東門が復元されています。群馬県指定史跡。
所在地:安中市松井田町横川573

・五料の茶屋本陣
茶屋本陣とは休憩の場所として利用された施設。修復・復元された「お西」と「お東」の2棟を見ることができます。群馬県指定史跡。
所在地:安中市松井田町五料564-1

・安中原市のスギ並木
上毛かるたでも詠まれる名所。江戸時代後期には、道の両側に700本以上の杉の木が続いていました。現在は十数本のみ残存。国指定天然記念物。
所在地:安中市原市

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