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【tsulunos PLUS】話題の道に注目! ツルノメ(2)

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群馬県

◆江戸と佐渡をつなぐ最短路 三国街道(みくにかいどう)
◇大名から杜氏(とうじ)まで多くの人が行き交った三国峠越えの道
関東地方と越後を結ぶ三国街道は、古くから人々の往来に使用されてきた道です。江戸時代、江戸と越後・佐渡を最短距離で結ぶこの道は、重要視されるようになります。それは、長岡藩や与板藩といった越後大名の参勤交代路として利用されるようになったこと、そして、佐渡奉行と呼ばれた佐渡の金山を管理する役人が、往路としてこの道を通るようになったためです。また越後の大工や杜氏が出稼ぎのため、ここを通り関東地方に入ってきたという記録も残っています。高崎から三国峠までは約75キロメートル。県内には、小さなものも合わせると13の宿場がありました。現在、街道沿いには当時の面影を残す宿場の本陣跡や建物が多く残っています。

◇街道豆知識 本陣とは?
宿場町にあり、身分の高い人が宿泊や休憩をする施設。名主など地元の有力者の居宅が本陣に指定されていました。

須川宿の街並みを今も残す「たくみの里」。道の駅としても活用されています。
所在地:利根郡みなかみ町須川847

◇街道ゆかりびと 三国峠を越えて測量の旅に
55歳から71歳まで、10回にわたり日本各地に自ら足を運び、測量を行った伊能忠敬。その結果、精度の高い日本地図の完成につながりました。測量の帰路に、三国街道を越後から入り群馬を通行した記録が残っています。
伊能忠敬(いのうただたか)(1745~1818年)

◇街道を歩けば…
・猿ヶ京関所跡
三代将軍・徳川家光(とくがわいえみつ)の時に開設された関所。付設された役宅が1軒現存し、一部が資料館となっています。群馬県指定史跡。
所在地:利根郡みなかみ町猿ヶ京温泉1145

・中山宿新田本陣(平形家住宅門屋)
宿駅の中核的な存在だった「本陣の長屋門」の堂々たる姿を今も残している。国登録有形文化財。
所在地:吾妻郡高山村大字中山103-1

・玉村宿の中心とされる上新田と下新田の境にある「玉村八幡宮」。参道が例幣使道に向かって延びています。本殿が室町後期の建築様式を残す貴重な建造物で国指定重要文化財。拝殿・弊殿・随神門・神楽殿が町指定重要文化財。
所在地:佐波郡玉村町下新田1

◆日光東照宮に向かう朝廷の使者が通った道 日光例幣使道(にっこうれいへいしどう)
◇日光東照宮を目指して毎年4月に通行する例幣使
「例幣使」とは、御幣(ごへい)を朝廷より預かり日光東照宮に奉納する使者のこと。徳川家康(とくがわいえやす)の命日に日光東照宮で行われる春の例祭に、毎年朝廷から例幣使が派遣されており、正保4年(1647)から慶応3年(1867)まで221回、途切れることなく続きました。日光例幣使は毎年4月1日に京を出発。中山道を通り、倉賀野から分岐するのが日光例幣使道。大きなトラブルがない限り、毎年4月11日に玉村宿に宿泊し、15日に日光に入る日程と決まっていました。県内には玉村宿から太田宿まで5つの宿場が設けられました。

◇沿道の人々に京の文化を伝えるも負担をかけたという話も…
京からやってくる例幣使は、沿道の村々にさまざまな京文化を伝えたといわれています。一方で、例幣使が通る4月は農民にとっては繁忙期。忙しい中、人馬を提供しなければなりませんでした。当時、例幣使は財政が豊かでなかった公家が多かったとされ、宿泊代の代わりに色紙を渡したという話も。道沿いの村人にとっては、苦労が多かったようです。

例幣使は日光に向かって東に進むため、赤城山は常に左手。しかし、この付近だけ、一部西に進むため赤城山が右に変わります。それが例幣使道の名所「右赤城」です。
所在地:伊勢崎市下蓮町付近

◇街道ゆかりびと 江戸時代に活躍勝率9割以上の有名力士
現役生活は21年、そのうち16年もの間、大関を保持し、9割6分2厘という成績を残した相撲界最強の力士。倉賀野に残る常夜灯には寄進者としてその名が刻まれています。
雷電為右衛門(らいでんためえもん)(1767~1825年)

◇街道を歩けば…
・玉村町歴史資料館
常設で「日光例幣使道と玉村町」をテーマに宿場として栄えた玉村町の姿を歴史資料や映像などを交えて紹介しています。
所在地:佐波郡玉村町大字福島325(玉村町文化センター内)

・世良田(せらだ)東照宮
拝殿は日光東照宮奥社拝殿として建設され、その後寛永17年に移築されたもの。本殿・唐門・拝殿は国指定重要文化財。
所在地:太田市世良田町3119-1

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