文字サイズ
自治体の皆さまへ

常陸大宮市 文書館だより Vol.37

11/20

茨城県常陸大宮市

■2歳の聖徳太子像
昨年7月に市の文化財に指定された南無仏太子(なむぶつたいし)像は聖徳太子2歳の姿といわれています。鎌倉時代末期、700年ほど前の作と推定されています。

○聖徳太子信仰の広がり
聖徳太子(廐戸皇子(うまやどのおうじ))の生涯を伝える『聖徳太子伝暦』によれば、太子が2歳の春2月、東に向かって「南無仏」と唱えたという故事に基づいて作られたのが「南無仏太子像」です。太子を礼拝・供養する太子信仰は、天台宗などの旧仏教だけでなく、禅・浄土教などの新仏教にも受容され、庶民へも広がりました。特に大工などの工人の間で盛んに信仰され、太子講という組織が現在まで続いている例もあります。
常陸大宮市域では、二十四輩寺院に代表される浄土真宗寺院に中世以来の聖徳太子信仰がみられ、すべての真宗寺院が太子の木像を所蔵しています(一説に真言律宗の影響ともいわれます)。

○八田にあった聖徳太子像
南無仏太子像は、八田鹿島神社境内の太子堂に安置されていました。長い年月を経て失われた部分もありますが、袴の形状に改変が加えられたり、肌の部分が厚く塗り重ねられたりしていたことから、地域の方たちの手により修復が重ねられてきたこともわかります。
『聖徳太子伝暦』の普及によって、南無仏太子像のほか、童形像(髪を美豆良(みずら)に結い袍(ほう)と袴を着ける男児像)、孝養像(16歳の時、父用明天皇を見舞う姿、美豆良に結い柄香炉を持つ)、摂政(せっしょう)像(22歳像、紙幣の図柄に採用された)、騎馬像(きばぞう)などが木像や絵像として広まり、信仰されました。
真宗寺院の太子信仰では広く孝養太子像が信仰されるため、南無仏太子像の伝来は珍しいものといえます。
八田の聖徳太子像は、正和2年(1313)創建と伝わる八田の太子山一条寺(浄土宗)にあったといわれています(『大宮町史』)。江戸時代後半に作られた八田村の絵図(当館蔵)には、八田地区の小字「太子前」に一条寺の寺地や墓地、所有していた耕地が描かれていますが、寺の堂舎の図は描かれていないので、1850年代頃には一条寺は廃寺となっていたようです。一方、小字「宮前」に所在する鹿島神社の境内にも太子堂らしい建物の記載はなく、太子像がいつ頃一条寺から鹿島神社境内に移されたのかは不明です。

○大曽根常福寺の由緒
つくば市の大曽根常福寺(浄土真宗)は、八田の地から天文10年(1541)に移転したとの由緒を持ちます。開基は親鸞の門弟、八田の入信と称する八田出身の武士とされ、佛ぶつ名山玉川院(みょうざんぎょうせんいん)の院号も故地である八田に由来するものといわれています。
一説には、大曽根への移転に際し、寺宝の太子像を当時の住職が地元の門徒に託していったとされています。太子像には幕末・慶応3年(1867)銘の修理札が納入されていました。大切に守り伝えられてきた歴史を、私たちも次の世代へと受け継いでいきたいと思います。

参考文献:
・信仰の造形的表現研究委員会編『真宗重宝聚英』第7巻 同朋舎出版 1989年
・園部公一『新版常陸の親鸞』東冷書房 2011年

<この記事についてアンケートにご協力ください。>

〒104-0061 東京都中央区銀座3-4-1 大倉別館ビル5階

市区町村の広報紙をネットやスマホで マイ広報紙

MENU