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稲敷魂!稲敷市の文化財 -2-

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茨城県稲敷市

■円密院文書 2
今回は、円密院が無縁談所から天台宗の正当な寺院となったことを示す文書をご紹介します。

(1)覚叡付法状(円密院文書・市指定文化財)

(2)覚叡譲状(円密院文書・市指定文化財)

(1)(2)の文書は、ともに応安6年(1373)卯月21日に権少僧都覚叡(かくえい)が弟子の良尊(りょうそん)に宛てたものです。覚叡は良尊に天台宗檀那流恵光房流の法統を授(さず)け、無縁談所から発展した円密院とその田畑を、人師・弘法の者でない人や無学で器でない弟子に譲与してはならないと、厳しく戒(いまし)めた上で譲っています。
比叡山(ひえいざん)の天台教学では、教義について問答形式で論じ合う「論議(ろんぎ)」に大変重きが置かれます。その中で檀那流(だんなりゅう)は、平安時代中期の天台宗の僧・覚運(かくうん)が開いた叡山の学派で、恵心流(えしんりゅう)と共に恵檀二流と呼ばれています。檀那流は、平凡な人が修行により迷いから覚めて悟りを開き、仏になるという法論的な教えを説きました。恵光房流(えこうぼうりゅう)は、平安時代後期に檀那流の僧・澄豪(ちょうごう)が開いた檀那流の主要な分派の一つです。
両文書は、円密院の法統や継承が明確に示されている点でとても重要です。そして覚叡から人師・弘法の優れた者、と認められた良尊が活躍するお話も円密院文書には残されています。
円密院文書の「応安」は北朝年号、神宮寺城と阿波崎城の戦いは南朝年号の延元3年(1338)と紹介されていますが、使用年号の違いは支配の違いや社会の混乱を暗示するとされます。
円密院に優れた学僧が集っていたとはいえ、南北朝時代の乱世に「無縁」を体現するには多くの困難があったでしょう。しかし信太古渡に「ほいほい地蔵」が祀られていることからも、この地の人々が「無縁」の理念である絶対の慈悲に心を寄せていたことが偲しのばれるのです。(C・M)

問合せ:教育政策課
【電話】029-892-2000

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