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記憶の継承

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長野県伊那市

■戦後75年未来の平和のために
城倉 肇(じょうくら はじめ)さん(92) 手良野口在住
・昭和2年9月21日生まれ
・昭和18年8月永和三峯開拓団として満州に渡る
・昭和19年5月熊谷陸軍飛行学校
・伊那分教場に配属

昭和16年12月8日、日本軍によるアメリカ海軍のハワイ真珠湾基地への奇襲から勃発した太平洋戦争。
昭和20年8月6日には広島に、8月9日には長崎に原爆が投下され、日本は8月15日、ついに終戦を迎えることになりました。
多くの犠牲を出した悲惨な戦争から75年を迎える今年は、世界中が新型コロナウイルス感染症という見えない脅威に襲われました。しかし、こうした状況にあっても一部の国々では争いが続き、尊い命が奪われています。
一度始まってしまえば、容易には終わらない戦争。当時の生の話を聞く機会が減る中、その悲惨さ、重大さを後世に伝えていくことが重要となっています。
私たちは、戦争の記憶を風化させることなく、50年、100年先の未来の平和を願い、語り継いでいかなければなりません。

手良野口在住の城倉肇さんは、戦時中、満州(現在の中国東北部)の開拓を手伝う勤労奉仕隊として、約3カ月間満州での生活を体験され、帰国後は、現在も上の原に遺構が残る伊那飛行場で練習機(戦闘機のパイロット養成用の機体)の整備士として勤務されました。城倉さんに当時の体験と、平和への想いを伺います。

▽青春などなかった
太平洋戦争が始まったのは、私が国民学校6年生の頃。1年後、手良青年学校に進学しました。そこでの生活は午前中に勉強、午後に軍事教練を受けるというものでした。軍事教練では、敵に見立てた藁人形に、銃の先に付けた短剣を突き立てたり、銃を持って匍匐前進をしたりと、戦争に出兵できるように鍛えられました。銃は本物を使い、ずっしりとした重さ。うまくいかないと何度も繰り返すように指示され、それは厳しいものでした。
戦時中、私は10代後半。今思えば、青春などありませんでした。

▽夢を抱いて満州へ
17歳の時、高遠拓殖青年学校の先生に誘われ、開拓のために伊那から満州に渡っていた、永和三峯開拓団を手伝う勤労奉仕隊として、友人と共に、3カ月間満州に行くことになりました。
当時は、土地を持たない小作人などが、「満州に行けば地主になれる」という国の言葉を信じて、開拓団として満州へ渡っていきました。
私たちの満州での生活はというと、電気はなく、新聞もろくに届かない、豚小屋がトイレ代わり、といったような不便なものでした。それでも何とか勤労奉仕隊の仕事をやり遂げ、帰国が延期になるというトラブルはあったものの、最後は無事日本に戻ることができました。
しかし、その後も満州に残った人々は悲惨な目に遭ったと聞いています。
敗戦後、開拓団は満州から日本に引き揚げることになりましたが、その道中、幾度となく現地の盗賊に襲われ、持っている物だけでなく着る物まで奪われて、命を落とす者もいました。
ようやくたどり着いた満州内の日本人収容所でも、食べ物も薬もなく、栄養失調やチフスなどの病気で、開拓団員の多くが次々と亡くなり、最終的な死者数は全団員295人中127人に及んだと聞きます。

▽整備士として訓練生を送り出した
帰国後、私は再び青年学校で勉強と軍事教練を受ける生活を送りました。
そんな時、友人から「このままでは戦争に行くことになる。六道原に飛行場ができるから、そこに整備士として入所しよう」と誘われました。ちょうど私たちが満州に向かった頃から、戦闘機のパイロットの訓練場として飛行場の建設が進められていたのです。
若者が紙切れ一枚の召集令状で次々と戦争に送り込まれる中、自分の番がいつ来るかわからない。そんな状況で友人の誘いを断る理由はありませんでした。村長に志願状を出したところ、神奈川県相模原で整備士の訓練を受けられることになり、そこで5カ月間の訓練を受けた後、伊那の飛行場に配属されました。
私が整備士として勤めている間、160人ほどの訓練生が入所し、その中には特攻隊員となる者もいました。
20歳前後の訓練生が、わずか3カ月ばかりの訓練で次々に戦場へ送り出されていきます。もちろん、一人で飛行できる程度の技術は身に付けていますが、実際の戦場では、砲撃をかわすことなどできずに、彼らの多くは戦果も挙げられないまま命を落としたそうです。
戦時中は日本が劣勢に立たされていることなど耳には届きませんでしたが、多くの兵士が戦場で犠牲となり、戦闘機の訓練生となる者も次第に減っていく様子を見る中で、「いよいよ日本は敗戦するのだろう」と悟りました。

▽平和への願い
戦時中はろくに食べることができずに亡くなっていく子どもがたくさんいました。
満州へ渡った人々、戦場で命を落としたパイロット、多くの人々の人生が戦争によって翻弄されました。
戦争は勝つ方も負ける方も本当に大きな犠牲を払います。憎しみ、苦しみ、悲しみ。そんな思いは二度と味わいたくないし、誰にもしてほしくありません。こんな無駄なことが二度と起こらないことを願っています。

※第16回歴博講座にて城倉さんのお話をお聞きすることができます。詳しくは下記をご覧ください。

■第67回特別展「出征兵士と家族の肖像展2020」
期間:8月23日(日)まで
会場:高遠町歴史博物館セミナールーム

■第16回歴博講座
日時:8月8日(土)午後1時30分~4時
会場:高遠町総合福祉センターやますそ
講演1:「私の太平洋戦争特攻を送り出した赤トンボの整備士」
(講師:城倉肇さん)
講演2:「戦後75年国策・満蒙開拓団の悲劇から学ぶこと」
(講師:寺沢秀文さん)
※要予約(高遠町歴史博物館【電話】94-4444)

■原爆パネル展
期間:7月31日(金)~8月17日(月)
会場:いなっせ5階廊下

■黙とう
▽広島平和記念日
日時:8月6日(木)午前8時15分~

▽長崎原爆の日
日時:8月9日(日)午前11時2分~

▽戦没者を追悼し平和を祈念する日
日時:8月15日(土)正午~

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問合せ:企画政策課 企画政策係

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〒104-0061 東京都中央区銀座3-4-1 大倉別館ビル5階

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