■三十三観音(さんじゅうさんかんのん)
観世音菩薩(かんぜおんぼさつ)が33の姿に変化し、衆生(しゅじょう)(生命のあるすべてのもの)を救うという観音信仰が、飛鳥時代に中国から日本に伝来します。この信仰は平安時代になって貴族社会に定着し、観音霊場参詣が活発化する中で、近畿地方を中心に点在する観音菩薩をまつる札所寺院33か所を巡る西国三十三所(さいごくさんじゅうさんしょ)が形成され、これを巡礼参拝することで現世での罪が消滅し、極楽往生できるとされました。
西国三十三所の影響を受け、東国にも坂東三十三所や秩父三十三所などが設けられ、田村市関連でいえば室町時代に福島県中通り地方に仙道三十三所ができ、今の堂山王子神社(船引町門沢・旧堂山寺)、日渡神社(船引町新舘・旧満願寺)、入水寺(滝根町菅谷)の3カ所が札所とされました。
当初は、修行僧や修験者などが巡礼を行っていましたが、江戸時代になると庶民の間で大いに流行し、各地に形成された三十三所巡礼が盛んに行われました(県内では会津三十三所が有名。田村市関連では三春三十三所などがあります)。そうした中でも西国三十三所は憧(あこが)れの聖地で、田村市菅谷・入水寺の裏山に所在する市指定史跡「入水(いりみず)三十三観音」は、自然の岩などに浮彫(うきぼ)りされた磨崖仏(まがいぶつ)で、1850(嘉永(かえい)3)年に寺の信徒が西国三十三所を巡礼した記念に、各札所の土を持ち帰り、造立した像の下に埋めたとされます。浮彫りされた33体の像には西国三十三所それぞれの札所名と寺名、本尊名が刻まれています。
ほかにも未指定ではありますが、船引町芦沢字本郷に所在する「西国三十三所供養塔」は1861(文久元)年の銘があり、観音像それぞれに入水三十三観音と同じように札所名や本尊名などが刻まれています。しかし、明治の廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)の際に像が毀(こわ)され部分的に破損しています。
西国三十三所崇拝を物語る文化財としてもうひとつ、船引町の片曽根山頂付近にある岩壁に線刻された市指定史跡「片曽根三十三観音」があります。江戸時代後期、重病を患(わずら)った付近住人が、自分の病気が治るようにと西国三十三観音を彫って祈願したところ、願いが通じ病気が治ったという言い伝えがあります。
なお、西国三十三所には現在も多くの参拝者が訪れ、2019(令和元)年「日本遺産」に認定されました。
次回は「地名」を紹介する予定です。
(※田村市の文化財一覧は本紙またはPDF版の二次元コードからご確認ください。)
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