■高山社と養父市の養蚕
上垣守国は、安永7年(1778)26歳の時、現在の福島県伊達市梁川町伏黒の佐藤与惣左衛門から蚕種(蚕の卵)を仕入れました。その道中で、群馬県、長野県、滋賀県などの養蚕方法を学び、『養蚕秘録』としてまとめました。
明治17年、群馬県藤岡市に高山長五郎が高山社という養蚕学校を自宅に開きました。後に発展し、養蚕の指導員を全国に派遣しています。上垣守国養蚕記念館に「兵庫県養父郡西谷村、上垣倉之助。養蚕改良高山社々員之證。明治四五年四月一四日」と書いた会員証が保存されています。
明治26年から明治41年にかけて、養父市には高山社から延べ58人の授業員、授業員補が派遣されています。明治30年筏に宮下作次郎、夏梅に入野文衛、明治40年糸原に吉田宇太郎、須西に岡崎平馬、宮本に片貝兵三郎、門野に高橋登美治、明治40年大杉に沢田和三郎などです。高山社で3年間の課程を学び、優秀な者が授業員となりました。
そして養父市からは明治29年上小田の兼平鹿蔵、明治36年夏梅の鎌田誠、明治39年能座の寺川久太郎が高山社で養蚕を学んでいます。
養蚕で農民の生活を豊かにするという上垣守国の意志は高山長五郎へと引き継がれ、さらに高山社、兵庫県立蚕業学校へと受け継がれます。
(教育委員会歴史文化財課)
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