文字サイズ
自治体の皆さまへ

ーわたしと金山ーNo11

12/23

山形県金山町

林 寛治(かんじ)

■めばえ幼稚園との出会い
 1974年7月末に7年4か月修行した吉村順三設計事務所を退職しました。妻アメリーと1歳半過ぎの息子太郎は、一足先にフランスに里帰りしておりました。
私は一級建築士事務所登録を済ませ、父の家の2階に住んでいた弟夫婦に私の家の管理を頼んで出国し、8月上旬にパリの妻子と合流しました。
アメリーとは日本で知り合い、結婚2年目にはこどもが生まれていたのですが、彼女の年老いた母や姉と3人の兄たち家族に、私は初見参でした。
アメリーの郷里はパリから南へ約400kmの丘稜地帯にあり、東京・金山間と同じ様な距離感だったと思います。8月でもカラッとした穏やかな風景でした。第二次大戦中は最も激しい対独レジスタンス地域だったそうです。
10日間ほどの滞在予定だったこともあり、パリからのレンタカーFIAT850で東隣の州オーベルニュ・ロマネスク教会など4日間1人で回ったりしました、タイヤとガイドブックで知られるミシュランの本拠地クレルモン・フェランや、サンティアゴ巡礼の出発点の一つでもあるル・ピュイなどと、その周辺巡りをしました。幼児を姉夫婦に頼み、イタリアにも妻と2人で足を延ばし、旧事務所のボスや友人たちとも交流して4か月近くで帰国しました。私にはこれまでの最後の長期フランス滞在でした。
1974年11月末ころだっただろうか。金山町長2期目の岸宏一君から電話を受けました。町で幼稚園を誘致したいので、敷地を見てくれ、という話しで、日を置いて、千葉県我孫子市のめばえ幼稚園に井上園長ご夫妻を訪ねるので、同行しないか?という打診でした。
こちらは、勿論喜んでその日に同行しました。役場の皆さんは、この辺の岸町長の言い回しの雰囲気をご存知かと思います。恐らく幼稚園を誘致することの、内容・手続きをしっかりと、企画・計画のスタート段階から、設計実務の専門家に聞かせ・見せた上で、町長自身の企画政策の裏付けにすべきと考えたのでしょう。
めばえ幼稚園本舎は、多くの子どもたちで、賑やかだったという印象を持ちました。
めばえ側にも早稲田から戸田建設を経て、工務店を経営している方が同席されました。
私は従兄の設計者だと紹介されただけで、和気あいあいの井上園長夫妻と岸町長の会話を聴くのみで、発言はしませんでした。金山町各集落の代表と町議会議員の担当者が熱心に候補地を探しあい、特に適切な場所が見つかったので、皆で立会い検分をしましょうというのが、その日の結論でした。
我孫子から電車で上野に戻る車中で、岸町長が、どうだ!設計してみるか?と一言、ぽつんと試すように言われました。井上さんにも心当たりがあるかも知れないから聞いてみる。ということでした。その時点で私がどう答えたか?記憶にありませんが、素晴らしい建築主に出会った!という直感を持ったことは確かです。

<この記事についてアンケートにご協力ください。>

〒104-0061 東京都中央区銀座3-4-1 大倉別館ビル5階

市区町村の広報紙をネットやスマホで マイ広報紙

MENU