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かみじま郷土話12

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愛媛県上島町

■弓削島荘に現れた海上勢力
約半世紀にわたって続いた南北朝の内乱は、各地の在地勢力を成長させ、荘園の支配関係を大きく変えました。各地の荘園領主は、領主自身が直に現地に赴いて荘園経営に直接関わる方法や、在地の有力者に荘園経営を任せて年貢のみを受け取る所務請負(しょむうけおい)といった方法などによって荘園を維持しようとしました。
弓削島荘では、安芸国の小早川一族の4人が、荘内で「乱妨狼藉(らんぼうろうぜき)を致(いた)」していることが東寺百合文書の康永2年(1343年)の記録に遺されています。その一族の中でも、海賊的性格が強かった小泉氏は、他の3人が弓削島荘から引き上げた後も荘に留まって活動を続けました。荘園領主である東寺は、この問題を解決するために、所務請負によって弓削島荘を維持しようとしました。そして、その請負代官に選んだのは、弓削島荘で「乱妨狼藉」を働いた小泉氏本人でした。
所務を請負った小泉氏でしたが、応安6年(1373年)には請負った額を滞納するなど、東寺の立場からすると優秀な請負代官とはなりませんでした。また、小泉氏は讃岐の海賊である山路(やまじ)氏と「同意」し、弓削島周辺で支配拡大を図るなど、海上勢力としての活動を展開していました。東寺は、そのような小泉氏に見切りをつけ、後に村上海賊として著名になる村上氏を新たに請負代官としました。しかし、請負代官となった村上治部進によると、小早川小泉氏、野島(能島村上)氏、山路氏らの海上勢力が弓削島荘を「押領(おうりょう)」(他人のものを無理やり奪う事)しており、所務請負の遂行が難しい状況になっていました。弓削島荘の周辺は、それぞれの海上勢力による支配が進められ、荘園の維持が困難になりつつありました。

担当:教育課 曽根 大地

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