- 発行日 :
- 自治体名 : 岐阜県可児市
- 広報紙名 : 広報かに 令和7年11月号
可児市のじまんとほこりVol.4 歴史じまん
■すごいpoint
・日本書紀という約1300年前の書物には、「ククリ」という場所での物語が書いてあるよ。
奈良時代に書かれた「日本書紀」という書物の中には、美濃国(みののくに)(現在の岐阜県美濃地方)の「ククリ」にまつわる物語が書かれています。「日本書紀」には、天皇が「ククリ」を訪れてしばらく滞在し、その間にきさきを見つけたことが記されているのです。
■泳宮の伝説
ククリを訪問したのは景行天皇。冒険伝説で有名な、ヤマトタケルの父にあたる人物です。美濃国の「ククリ」を訪れた景行天皇は、弟媛(おとひめ)という美女の存在を耳にします。弟媛は八坂入彦命の娘であり、八坂入媛(やさかいりひめ)という姉がいました。
天皇は弟媛との結婚を望みますが、弟媛は竹林に隠れてしまいました。そこで天皇は、仮の住まいである「くくりのみや」(泳宮)に滞在し、池にコイを泳がせて弟媛が来るのを待っていました。弟媛はコイを見ようと、こっそり泳宮にやって来たところ、天皇に見つかってしまいます。天皇は弟媛にプロポーズをしますが、弟媛は天皇に嫁ぐことを断り、姉の八坂入媛を自分の代わりにきさきにすることを勧め、天皇はそれを受け入れました。その後、天皇と八坂入媛との間には、7人の男の子と6人の女の子が生まれました。
「日本書紀」が書かれた720年ごろ(今から約1300年前)には、奈良の都にこの物語が伝わっていたことは間違いありません。
また、「ククリ」という地名は、奈良県で出土した木簡(もっかん)や日本最古の和歌集である「万葉集」の中にも登場します。「ククリ」は、当時の都の人にとっても、よく知られた地名であったようです。
この「ククリ」は、現在の可児市の「久々利」だと考えられています。天皇が滞在した「泳宮」の跡とされる場所が、伝説の場所として久々利地内に残されています。
※本記事は、「可児市のじまんとほこり2025」から、一部編集を加えて転載したものです。
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