くらし シリーズ人権 みんなで考えよう。人が人らしく生きるために…

■~名前を呼ぶということ~
◇〝あだ名〞で呼ぶ
「ねえ、先生、なんであだ名で呼んだらだめなん?」学級開きから2カ月が経ち、友達関係ができ始めた頃に学級の子どもから質問されたことをこの時期になるとふと思い出します。もし、皆さまがこのように子どもから問われたとき、どう答えますか。
あだ名は、身体的特徴、性格、出来事、動物の連想、略称など様々な理由からつけられていると言われています。そして、親しみを込めて誰かをあだ名で呼ぶことは、日常的にある光景です。あだ名で呼ぶことは仲間同士の距離が縮まったり、場の空気が和らいだりするなど、温かさや親しみが生まれる側面があります。実際に、名前が難しい人や外国にルーツをもつ人にとって、呼びやすいあだ名がきっかけで周囲との関係がスムーズになることもあります。しかし、少し立ち止まって考えてみたいことがあります。
その呼び方(あだ名)は、本当に相手にとって嬉しい呼び方(あだ名)なのでしょうか?呼ばれて、心の中でモヤモヤしているようなことはないでしょうか。
名前はその人の人生の始まりに贈られた、たった一つの贈りものであり、その人がこの世界に生きているというかけがえのない証です。そして、名前には、家族の願いや文化、歴史が込められていることがあります。だからこそ、「名前で呼ぶ」ということは、その人自身を尊重することにつながります。

◇〝正しい名前〞で呼ぶ
私の中で今でも忘れられない出来事があります。それは、4月の学級開きの日、一人ひとりの顔を確認しながら名前を読み上げていた時の事です。入学式後だったので、保護者もいらっしゃる中、緊張しながら名前を読み上げていると、「先生、私の名前の読み方が違います」と教えてくれた子がいました。絶対に間違えないように前日から準備をしていたにも関わらず、間違ってしまったこと、さらに大勢の人がいる中で「間違っている」と声を上げることがどれだけの勇気がいることだったのか、その子の気持ちを想像するとさらに申し訳ない気持ちになります。その子の名前をもう一度読み直し、「二度と間違えない」とその子と約束したことを覚えています。名前は人生の始まりに贈られた、たった一つの贈りものであるからこそ、〝名前を正しく呼ぶこと〞は、〝その人自身を大切にすること〞につながっているのではないかと考えます。
また、最近では、読み方が難しい名前や、複数の読み方がある名前が増えています。2025年の5月から施行されている改正戸籍法では、戸籍に氏名の読み仮名を記載することが義務付けられました。これにより、名前の読み方の多様性と正確性がより重要視されているのではないかと感じます。

◇相手の立場に立って
私の忘れられない出来事のように、〝名前を間違える〞ことはあってはならないことですが、〝あだ名で呼ぶこと〞は前述したとおり、温かさや親しみが生まれる効果があります。一方で、同じように名前を正しく呼ぶという正確性にも〝あなたを大切にしている〞というメッセージが伝わるよさがあるのです。
あだ名で呼ぶことが全て悪いわけではありません。大切なのは、〝親しみの押しつけになっていないか〞、〝本当に相手が不快に思う呼び方になっていないか〞と一度立ち止まって考えることです。相手に、「この呼び方で大丈夫?」や「なんて呼んだらいい?」と確認することも大切になってくるかもしれません。
〝あだ名で呼ぶこと〞も〝正しい名前で呼ぶこと〞もどちらにもよさがあります。また、呼ばれる側としても、〝誰から呼ばれるか〞で良し悪しが決まってくることもあるでしょう。年齢を重ねることで「どう呼ぶとよいか」という確認をすること自体、しなくなってくるかもしれません。だからこそ、〝相手の立場に立つ〞という視点で、名前を呼ぶということについて考えてみませんか。もしかするとその考えが呼び方となって、誰かの心にやさしく届くかもしれません。