- 発行日 :
- 自治体名 : 佐賀県多久市
- 広報紙名 : 市報たく 令和7年12月号
ー肥前陶器窯跡(ひぜんとうきかまあと)(唐人古場(とうじんこば)窯跡)ー [国史跡]
多久町二七五二番地一ほか
多久町に所在する唐人古場窯跡は、天下人(てんかびと)となった豊臣秀吉(とよとみひでよし)が、文禄(ぶんろく)元年(1592)から慶長(けいちょう)3年(1598)にかけて引き起こした朝鮮出兵(文禄・慶長の役(えき))のおり、連行されて多久預(あず)かりとなった韓人(かんじん)(日本名を金ヶ江三兵衛(かねがえさんべえ))が築いた窯と伝えます。多久家初代多久安順(やすとし)(龍造寺家久(りゅうぞうじいえひさ):領祖(りょうそ)龍造寺長信(ながのぶ)の子)が、元の仕事を三兵衛に尋(たず)ねると焼物と答え、多久領内で試し焼きをさせた窯といいます。そこで十分な水準の焼物ができたものの三兵衛は満足いかず、領内の高麗谷(こうらいだに)や大山(おおやま)(西多久)など材料の土を探して試し焼くうち、やがて有田で白磁鉱(はくじこう)(磁器原料)を発見、肥前磁器の礎(陶祖李参平(とうそりさんぺい))になったと伝えます。
唐人古場窯跡は平成5年の発掘調査で全長約16・5mを測(はか)る韓国(かんこく)の窯構造に似た16世紀末頃の登(のぼ)り窯が確認されました。磁器以前の窯で陶器窯に分類され、平成17年に県内複数の窯跡が指定された「肥前陶器窯跡」(昭和15年指定)に追加指定を受けました。日本最古級の近世窯の一つで、半島との技術交流を示す貴重な史跡です。
(教育振興課)
