文化 第127 回 温故知新 ~うと学だより~

■宇土の装飾古墳(そうしょくこふん)とその特徴
◇装飾古墳のメッカ 熊本
今から約1500年前の古墳時代、地域を治めた首長の墓として築造(ちくぞう)された古墳の中には、石室(せきしつ)の壁や石棺(せっかん)に様々な文様を施した装飾古墳と呼ばれるものがあります。
装飾古墳の出現は四世紀終わり頃で、八代海沿岸地域(八代市付近)で発生したと考えられています。全国で765基の装飾古墳が確認されていますが、その分布の中心は九州であり、特に熊本県や福岡県には数多くの装飾古墳が分布しています。中でも熊本県では全体の約28%にあたる212基が確認されており、全国一の分布数を誇ります。
宇土市域には10基の装飾古墳が分布しており、装飾古墳の出現地とされる八代海沿岸地域から伝播(でんぱ)したと考えられます。

◇様々な装飾
古墳の石室や石棺に装飾が施された主な目的は、埋葬された遺体に集まる邪悪なものを遠ざける魔除(まよけ)のためであると考えられています。装飾の技法には、浮彫などで立体的に表現する「彫刻」や、顔料(がんりょう)を用いる「彩色」、細かい線を刻む「線刻」などの種類があります。このうち、最も早く出現したのが彫刻です。
五世紀後半頃から熊本を中心に直弧文(ちょっこもん)(直線と弧線の組み合わせ)や円文(えんもん)など、抽象的(ちゅうしょうてき)な文様を持つ装飾が多く見られ、その後に人や動物、武器や道具などの具象的(ぐしょうてき)な装飾が熊本・福岡を中心に多く見られるようになります。
彫刻の次に現れた装飾が、彩色によるものです。彫刻の上から赤色顔料などで彩色したものに始まり、やがて彫刻をしない彩色のみの文様に代わります。その他、細い線を刻む線刻にも、彫刻と同じく直弧文や円文、船などの文様がみられます。
このように一部例外はありますが、装飾の種類は、彫刻から彩色へと変化するとともに、線刻が施されるようになります。

◇宇土の装飾古墳
では、宇土の装飾古墳には、どのような特徴があるのでしょうか。三つの古墳(ヤンボシ塚(づか)古墳〔上網田町〕・梅崎(うめざき)古墳〔笹原町〕・仮又(かりまた)古墳〔恵塚町〕)を例に挙げて考えてみます。
宇土で最も古い装飾古墳は、ヤンボシ塚古墳(五世紀前半)で、石室内に立てられた石障と呼ばれる板状の石に彫刻による円文が施されています(下写真)。円文は、文字どおり円形の文様で、鏡を表現したという説もあります。また、船の線刻も確認できます。石室内に施された船の線刻としては、日本最古であり、大変貴重なものです。
梅崎古墳(七世紀初頭)と、仮又古墳(七世紀前半)には、石室内壁に線刻で多数の船の装飾が施されています(下図)。多くの船によって構成された船団を表しているという説や、初めに埋葬された人の後から、別の人を埋葬する「追葬(ついそう)」を行うたびに船を描き足していったという説がありますが、はっきりしたことはわかっていません。
宇土周辺の装飾古墳の特徴として船の線刻が多いことが挙げられます。梅崎古墳・仮又古墳を含めいくつか実例があります。船の装飾は、被葬者を死後の世界に送るための乗り物として描かれたと考えられています。宇土に船の線刻が多い理由として、古墳時代に、宇土の馬門(まかど)石で作られた石棺が船で輸送されたことと関係があるのかもしれません。実際に馬門石製石棺が岡山や近畿圏の有力豪族の古墳で複数発見されており、石棺輸送に用いられた船が描かれたのかもしれません。

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