- 発行日 :
- 自治体名 : 熊本県宇土市
- 広報紙名 : 広報うと 令和7年11月号
■日露戦争と宇土(2)
120年前の日露戦争には宇土からも多くの若者たちが兵士として戦場に動員されました。戦地で亡くなった者、生きて宇土に帰ってきた者、そのどちらも勝利に貢献した郷土の英雄として、当時の人々は彼らの尽忠報国(じんちゅうほうこく)(忠義を尽くして国に報いること)を大きく称えました。
◇1 日露戦役記念碑の建立
日本の勝利を記念するとともに、戦没兵士を慰霊するため、出征兵士や戦没兵士の名前を刻んだ日露戦役記念碑の建立が全国各地で進められました。建立費用は戦勝祝賀会の余剰金や有志からの寄付金などが充てられ、町や村単位で建立されました。中には、同じ町内や村内でも区や集落ごとに碑を建立する地域もあり、政府は碑の乱立を招かないよう通達を出したほどでした。
◇2 市内に残る日露戦役記念碑
現在、宇土市内には11基の日露戦役記念碑が残されています。形や大きさ、建立時期は一つ一つ違いますが、いずれも兵士の慰霊と出征を記念して建立されたものです。
下網田町の碑の台座には、建立した理由が次のように刻まれています。
碑ヲ建テ石ニ勒(ろく)シ、永ク奉公ノ誠ヲ後世ニ伝ヘントス(兵士たちの名を碑に刻み、彼らの功績を永く後世に伝える)
昭和20年以前、碑の数は今より多かったと思われますが、軍国主義を連想させるものとして、戦後アメリカGHQによって、その多くが撤去させられました。
◇参考文献
・『新宇土市史』(通史編第3巻)
・『宇土市の金石文』
問合せ:文化課 文化係
【電話】23-0156
