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特集 度会ふるさと歴史館10周年 ~知ってほしい ここにしかない物語~(1)

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三重県度会町

教科書で学んだ「遺跡」はどこか遠い世界に存在しているように感じている人が多いのではないでしょうか。テレビで見た遺跡を発掘する姿に憧れた人や、授業で習った人も三内丸山(さんないまるやま)遺跡や吉野ヶ里(よしのがり)遺跡と聞くと「そうそう」と思いますよね。
実は、ここ度会町にもたくさんの遺跡や山城跡などが存在しています。面積の85%が森林で宮川や一之瀬川が流れる当町には、山で狩りをしていた頃や、勢力争いで敵からの攻撃を防ぐため山の地形をいかした城を築いていた時代にはこの地が適していたのでしょう。そのため、主に縄文時代の遺跡や山城跡の痕跡が多く残っています。
今月号では、ふるさと歴史館が10周年を迎え、改めて地域にある素晴らしい遺跡をご紹介します。

■縄文時代に栄えた森添(もりぞえ)遺跡
例えば、縄文時代の遺跡である上久具地内の森添遺跡では、お祭りなどに使われた「朱(しゅ)」が有名です。朱の原料となる辰砂(しんしゃ)は生産地が限られていたことから、各地から注目されており、東北地方から熊本県まで交易があったことが推測されています。
発掘調査は、多くの人が手作業で地表を薄く削り取りながら丹念に掘り進む、非常に根気のいる作業でした。微妙な土の色の違いに注意しながら、住居の痕跡などゆっくりと当時の生活を解き明かしていきました。大量に見つかった遺跡のうち4,078点が令和4年6月に町指定文化財に指定されています。そんな森添遺跡も弥生時代になるとその遺跡は激減します。
要因の一つとして考えられるのは、稲作が伝わったことでした。弥生時代の遺跡は伊勢市などで多く発掘されていることから、稲作がしやすい宮川の下流付近へ移っていったのではないかと考えられています。

■地域の特性をいかして
それぞれの地で生きていくため、人々はその土地の特性を最大限にいかし生活してきました。度会町の地域は川の流域に沿って存在していることが、その証明ではないでしょうか。
ここにしかない物語がたくさん存在する度会町。これらの遺跡を実際に見たり学んだりできる場所が「ふるさと歴史館」です。

■度会の地に刻まれる歴史
発見された遺跡や資料は、皆さんに広く知ってもらうため、ふるさと歴史館に大切に保管されています。
普段何気なく通っている道や施設には、かつて人々が生活していた痕跡が刻まれていました。
今もなお、どこかに眠っているかもしれない歴史に思いをはせてみるのも良いかもしれません。

◆こだわりが詰まったふるさと歴史館の見どころを紹介
○見どころ1 森添遺跡は必須
交易や情報交換が活発だったことが朱や土器などの出土物から分かります。
模様の違いや当時の生活を想像しながら見学してください。

○見どころ2 山城の工夫された構造
深い堀など敵の進入を防ぐために工夫された構造が今も残っています。
当時の戦い方を学び、構造の意味を理解すると面白さが倍増します。

○見どころ3 まるでタイムスリップ
昭和の生活感あふれる一室が。当時の生活をのぞいてみよう。

そんなふるさと歴史館が10周年
詳細は次のページへ

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