■小学校150年の歩み
明治5(1872)年に公布された「学制」により、政府はそれまで府県に設置されていた学校を一旦全て廃止し、新たに大学・中学校・小学校の3段階の学校制度をスタートさせました。全国を8大学区に分け、各区に32の中学区、さらに各中学区に210の小学区を設け、それぞれに学校を設置しようとするものでした。これには、教育の充実による国民の知識向上によって国家の近代化を図るという目的があり、条文には「邑(むら)ニ不學(ふがく)ノ戸ナク 家ニ不學ノ人ナカラシメン事ヲ期ス」と記され、明治政府の方針が示されました。学制により全国に5万余りの小学校が計画され、6歳以上の全ての男女が小学校教育を受けることが定められました。
ただ、学制の下では学校建設費用や授業料が住民負担とされており、さらに「国民皆学」のモットーに反して就学に関する法制上の義務もありませんでした。授業料などの学費負担が大きい上に、働き手である子どもが学校へ通うために不在となることなどから、実際の就学率は極めて低かったといわれます。
明治時代初期の津市域に目を向けると、明治5年2月、白山地域に「川口学校」が創立され、最も早い時期に誕生した小学校となっています。翌年2月には津藩校有造館の流れをくむ「小学第一校(現在の養正小学校)」ができるなど、明治9(1876)年にかけて各地に小学校が創立されました。
明治時代中期にかけて全国で小学校設置が進む中、明治19(1886)年の「小学校令」によって義務教育が制度化されます。さらに、明治33(1900)年の「小学校令改正」で授業料徴取が廃止されて就学率が急上昇し、明治40(1907)年に義務教育年限が6年と規定されたことにより、現在の小学校教育の基本型が整います。
その後、戦時下での国民学校初等科の時期を経て、戦後の民主教育への転換の中で「教育基本法」「学校教育法」が公布され、中学校3年間を加えた6・3制の義務教育制度が確立します。
戦後の復興期や昭和40年代の高度成長期には、児童数の増加や大型住宅団地の出現に伴って小学校が新設されました。一方、近年は過疎化や少子化により統廃合されるなど、小学校は時代に合わせてその数や姿を変えています。
そして現在の津市では市立小学校48校と義務教育学校1校(前期課程)で、1万2,600人余りの子どもたちが学んでいます。
▽明治時代初期に開校した津市内の小学校
<この記事についてアンケートにご協力ください。>