現在、赤木城跡の麓は、来訪者のための駐車場となっており、トイレや東屋、説明看板などの設備が整えられています。
赤木城の玄関口とも言えるこの場所が、もともと武具などの製造や修理をしていた「鍛冶屋敷」であったのではないかという伝承があります。
赤木城跡では、平成7年に主郭入口の崩落した石垣修復のために、約5カ月にわたり様々な調査が行われました。主郭入口の表土の除去作業と並行して行われたのが、史跡内にある「鍛冶屋敷」の伝承が残る場所の調査でした。
上下2段からなる平地は、かつて上段は畑として、下段は民家として利用されていたようです。調査は、先ず上段中央に幅4mの調査用区画を設定し、同様に下段へと広げていきました。その区画に沿って鋤簾(じょれん)や移植ごてを使って地面を根気よく削りながら、表土の黒ずみや柱穴の遺構などを丹念に探っていきました。
永楽通宝などが出土した下段部分からは、残念ながら遺構の検出はできず、城との関連性は薄いと判断されました。対して上段では、小さな範囲の中にも、焼土をはじめ、根石を伴った掘立柱の穴と考えられるものや、多数の小さな穴が発見されました。さらに、築城年代に属する16世紀の陶器片も出土しました。
これらの結果から、上段は、城に関する鍛冶遺構の可能性が考えられ、その場所を「(伝)鍛冶屋敷跡」と命名しました。
現在、当時検出された多くの遺構は、その保護のため、芝を張って整備された地面の下で現状保存されています。
次回は、崩落した主郭入口部分の調査や修復について紹介いたします。
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