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あなたはどれだけ知ってる? 藤堂高虎(とうどうたかとら) vol.14

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三重県熊野市

藤堂高虎が築城の名手とうたわれている所以(ゆえん)は、二十を超える築城数、工夫を凝らした強固な城設計にあるといえます。
高虎はその才能を高く見込んだ羽柴秀長の下で、安土城築城の工事に従事します。その際に、高虎と同郷である近江出身の石工集団の穴太(あのう)衆や甲良(こうら)大工衆という職人集団に引き合わせてもらい、築城関係の知識や技術などを学び習得していきました。
職人たちは石垣の積み上げについて、「石にも心や目があり、石の据わりがよいように」工夫していましたが、高虎自らも研究を重ねました。
反りのない石垣や地形を利用した城郭など実用的な城づくりを数多く手掛けることで、高虎は築城の名手といわれるようになりました。
ここで、「石垣」に着目して、熊野市との関連を考えてみます。
赤木城跡は、修復作業に着手するまで築城後400年が過ぎていましたが、破城の際に崩されたところ以外は、ほぼ築城当時の状態で石垣が残されていました。石垣の積み方は、築城当時最先端であった「野面(のづら)積み」と呼ばれ、穴太衆がこの方法で積めば「穴太積み」といわれるものでした。「野面積み」は、自然石をそのままのかたちで組み合わせながら積み上げていく方法なので、一見乱雑に見えますが、強度が高い積み方です。隙間があるので排水性が高く、また、揺れによる圧力が分散されるため地震にも強く、耐久性があります。かつては大地震に見舞われたこともあり、また、雨の多い熊野にはまさに最適な積み方と思われます。野面積みは今なお、使われる石積方法で、2018年に完成したアメリカ・ダラスのロレックス社の社屋の
※基壇(きだん)は、穴太衆の石積み技術を引き継ぐ職人による「野面積み」の技法をつかった石垣で造られています。
赤木城と同じ「野面積み」の石垣は、世界遺産熊野古道の松本峠でも見ることができます。優れた石積みの技術は、城作りの場面だけではなく、往時の人々の生活の中にも溶け込んでいます。
※基壇…建造物をその上に建てるために築いた壇

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