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自治体の皆さまへ

特集 もしものときの準備(2)

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京都府久御山町

◆災害は突然に
1995年の阪神淡路大震災、2011年の東日本大震災、今年1月に発生した能登半島地震、あの時皆さんは何をしていましたか。
能登半島地震は、正月に発生したこともあり、被災地では大きな混乱が起きました。久御山町ではこれまで延べ41人の職員が現地に向かい、復旧の支援を行いました。石川県へ派遣された2人の職員に現地での様子や活動を聞きました。

▽お互いに尊重し生活されていた
産業・環境政策課 大西黎(おおにしれい)
派遣期間:1月26日~29日
自分に何かできることがあればと派遣を希望しましたが、同時に余震が続く被災地に入ることへの不安もありました。
家屋の倒壊や地割れ、路線の歪みなどの被害を目の当たりにし、大きなショックを受けました。しかし、1番のショックは、無人になった家への空き巣被害や誘拐未遂が発生したことでした。
そんな環境の中でも住民の人たちは明るくお互いを尊重し生活されている姿を見て、私もできることは全てやろうと決意を新たにしました。
被災地での主な活動は、物資の受け取りや夜間パトロール、雪かき、家へ荷物を取りに行く高齢者の付き添いなど、さまざまなサポートを行いました。
災害を目の当たりにしたことで、普段から災害に備えることの重要性を改めて感じ、周りの人に伝えていけたらと思います。

▽水を必要とする人がまだまだいる
上下水道課 山本裕斗(やまもとゆうと)
派遣期間:3月17日~22日
水道のインフラが復旧しないため、給水車と共に現地に向かいました。
能登町の道路は破損したままで、迂回を余儀なくされました。
倒壊した家屋がそのままで、被害の大きさを感じました。
能登町の施設に寝泊まりしましたが、水道が復旧していないためトイレが使用できませんでした。災害時は水や食料の必要性だけでなく、衛生管理の難しさも実感しました。
私が行った時期は、災害から2か月半が経ったころでした。現地での活動は、給水車で住民に水を配ったり、仮設水槽へ注水を行うものでした。これだけ水を必要とする人がいるんだと改めてインフラの重要性を感じました。
給水をしていると、「ありがとう」と声を掛けてくださる人もいましたが、その声からは、生活することへの大変さを感じ取りました。

◆地震火災の過半数は電気火災
阪神淡路大震災と同時多発的に発生した大規模火災や東日本大震災の地震火災の半数以上を占めているのは、電気火災です。
その原因の多くは、地震の揺れに伴う電気器機からの出火や、停電復旧に伴って再通電されたことにより転倒した電気ストーブなどから出火したものと考えられています。
避難時にブレーカーを落とし、電気を遮断することは対策として有効ですが、緊急時には難しいこともあります。そんな時に、地震の揺れを感知し、自動的に電気を止める「感震ブレーカー」が効果的です。
配電盤の交換工事が必要ですが、「コンセントタイプ」であれば工事不要ですので、防火対策に取り入れてください。

問合せ:消防本部

◆災害時の助け合い
阪神淡路大震災を契機に、被災地の消防力では対応困難なときに全国の消防本部から応援に駆けつける緊急消防援助隊制度が創設されました。
現在では、約6600隊もの消防部隊登録があり、久御山町からも消火隊1隊、救急隊1隊がこの援助隊に登録しています。この制度は、全国723消防本部間における共助の精神に基づく消防相互応援体制です。
これまで、久御山町消防本部では、東日本大震災、熊本地震に救急隊として出動しています。能登半島地震では、1月1日の午後11時に京都府大隊の一員として消火隊が出動しました。
大地震が発生したあの日、皆さんはテレビを通じて被災地の人たちが協力して救出や避難されている光景を目の当たりにし、共に助け合う大切さを感じられたのではないでしょうか。いざという時に行動に移せるように、家族・近所の人たちと地域ぐるみの防災行動が取れるよう準備しておきましょう。

問合せ:消防本部

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