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文化財めぐり 456

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京都府亀岡市

■初代亀山藩主岡部長盛
戦国時代から織田信長政権の時代、豊臣秀吉政権、そして徳川家康政権の時代までは、いわゆる中世から近世にかけて政治・社会や経済のしくみが徐々に変化していった時期です。その中で、どこに画期を見出すかについては、地域ごとに具体的に検証していく必要があります。
亀岡に関していえば、やはり明智光秀が進攻してきた時期、豊臣秀吉の一族や重臣が亀山城主となり検地を実施した時期がそれぞれ画期と評価できるように思いますが、江戸時代・亀山藩時代の基礎を築いたという意味では、岡部長盛(おかべ たかもり)が亀山城主となった時期が重要と思われます。
岡部長盛は、戦国時代に駿河国(現在の静岡県)に生まれ、豊臣家に仕えた後、慶長五年(一六〇〇)に徳川家康が上杉景勝(うえすぎ かげかつ)を征伐する際に功を上げ、以後徳川家家臣として取り立てられます。
慶長十四年(一六〇九)に丹波国亀山城主に任じられ、二万石の知行を与えられます。翌十五年(一六一〇)には徳川家康が藤堂高虎に丹波亀山城の大改修を命じ(いわゆる天下普請)、この時に五層の天守を備える城郭として整備されます。これは豊臣家と徳川家の決戦がせまる中で、山陰道の押さえの城としての役割を期待されたものと考えられています。

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