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きょう田辺、あしたも京田辺。上村崇 市長コラム No.26

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京都府京田辺市

今では想像もつきませんが、80年ほど前まで京都市伏見区、宇治市、久御山町にまたがる場所に、巨大な巨椋池(おぐらいけ)がありました。池の周囲が約16km、面積が甲子園球場約200個分に当たる約8平方キロメートルと、池としては日本最大を誇っていました。同池には北から桂川、南から木津川、東から宇治川が流れ込み、合流して淀川となって大阪湾に流れ込んでいました。この池があることで、大阪と京都を往来するには、川を舟で移動するか、淀川の両岸の狭い山裾を陸路で移動するしかありませんでした。そのため、「天王山の戦い」や「鳥羽伏見の戦い」において軍勢が移動するときには、どの場所を通るかの予測がつきやすかったといわれています。徳川家康の伊賀越えは、この予測しやすいルートではなく、あえて見つかりにくいルートを選んだ末の困難な行程でした。歴史に「もしも」はありませんが、この池がなかったら歴史の情景も大きく変わっていたかもしれません。昭和の初めから干拓事業が始まり、巨椋池は整然と区画された農地へと生まれ変わりました。今も残る広大な田んぼを見ては、想像を膨らませています。さて、紅葉のきれいな秋がやってきます。ぜひ皆さんもまちの歴史を知る、まち歩きを楽しんでみてはいかがでしょうか。

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