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自治体の皆さまへ

《特集》次代につなぐ平和への願い(1)

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京都府京田辺市

市は平和都市推進協議会(※)と連携しながら、平和の尊さを後世に伝えていくほか、国際平和への貢献や平和意識の高揚を図るため、さまざまな事業に取り組んでいます。今年一年、平和な世の中になることを願い、平和をテーマに特集します。

和を愛し、和を語らい、和を生きる
いま、人は永遠の和を希求し、和をよびおこす
いま、和は和のもとへ飛翔する
平和を折り鶴に折り込み、京田辺から
『平和メッセージ』がはばたかんとする
(平和モニュメント「和」)

■子どもたちが広島で平和を学ぶ
平成23年3月に行った市非核平和都市宣言(本紙12ページ)を契機に、核兵器の恐ろしさや戦争の悲惨さなどを子どもたちに実感してもらうため、毎年7月に広島への訪問事業を行っています。定員を増やし「小・中学生平和大使ひろしま派遣事業」と名称を変更した昨年は、小学生21人、中学生3人が参加しました。広島平和記念公園などを巡りながら、平和の大切さと生命の尊さを学びました。

※平和都市推進協議会とは
市平和都市推進協議会は、人類共通の願いである恒久平和を推進するため、関連事業の企画・立案・推進や啓発活動を行う組織です。市のほか、市議会・社会福祉協議会・文化協会・スポーツ協会など市内18団体で構成しています。

■昨年7月25日・26日に実施した「小・中学生平和大使ひろしま派遣事業」の参加者を代表して、2人の感想文を紹介します。
感想文は本紙6~9ページをご覧ください。
なお、全員の感想文は、市役所2階市民ロビー(行政資料コーナー)・中央図書館(分室含む)で閲覧できます。

◇〔ほかの参加者の声〕被爆体験者の講話を聞いて
・自分が今いる日本に、原爆が落とされたのは遠い昔ではないと改めて感じた。
・今まで関係ないと思っていたことが少し身近に感じた。
・原爆の脅威や放射線による被害、後遺症、家族との別れのつらさなどを、少しでも多くの人に伝えていきたいと思った。

◇〔ほかの参加者の声〕資料館で展示物を見て
・どの展示物を見ても、「こんなことがあって辛かったよ。原爆ってこんなにひどいんだよ」と訴えかけてくるようで、とても苦しかった。
・ぼろぼろの自転車を見たとき、もしかしたら直前まで幼い子どもが乗っていたかもしれないと想像すると、一瞬で何もかも奪ってしまう原爆の恐ろしさに呆然とした。
・何の罪もない子どもたちの思いや希望が、たった一発の原爆によって失われたことが受け入れられず悲しみがこらえきれなかった。悲劇を繰り返さないために、私たちに託されている被爆者の思いや希望を、次代へとつないでいかなければならないと思った。
・本当にこんなことがあったと認めたくないほどの恐ろしく残酷な状況だった。これが現実だと思うと戦争がもっと恐ろしく感じた。
・火災や爆風だけでなく、黒い雨による放射線被害があることを知った。

■参加者の声
◇原爆ドームを見て
・被爆前の写真と見比べて、原形をほとんど留めていない姿に胸が苦しくなった。
・これからもずっと残してもらい、たくさんの人に見てほしいと思った。
・鉄骨が丸見えで外壁も吹き飛んでいる悲惨な姿を見て、ドームが泣いているように感じた。でも、ガイドさんの話を聞いていろいろなことが分かると、自分のことを知ってくれてうれしかったのか、少し笑ったように感じた。
・戦争の悲惨さを知る子どもが増えることで、みんなが戦争をしてはいけないということを理解すると思う。

◇千羽鶴を作って
・みんなで持ち寄った折り鶴をつなげて、千羽鶴を作った。
・病気回復を願って鶴を折り続けるも、亡くなってしまった被爆者の佐々木禎子さん(「原爆の子の像」のモデル)の悲しさを想像した。

◇「原爆の子の像」に千羽鶴を捧げて
・世界中から届いた折り鶴がささげられているのを見て、世界には平和を願っている人がたくさんいると知ってうれしかった。
・白い折り鶴を見て、「これは世界の幸せを願って平和の白色にしたのでは」と思った。
・「戦争はしてはいけない。核兵器は使ってはいけない」と像が呼び掛けているように感じた。

◇平和の鐘を突いて
・平和への願いを込めて突いた。とても良い音色だった。

◇原爆死没者慰霊碑に献花して
・平和への願いを込めて献花した。
・慰霊碑に「過ちは繰返しませぬから」と書いてあった。あのような悲劇を繰り返すことがないように、戦争がたくさんの人の命を踏みにじる行為であることと、それによって悲しむ人がたくさんいることを、すべての人が理解する必要があると思った。

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