■01 [お茶][歴史]宇治史探検(165)
知る人ぞ知る宇治の豆知識をお話しします。
◇平等院の栄華と平安貴族の浄土への憧れ
平等院は、永承7(一〇五二)年に、藤原頼通が父・道長の別業「宇治殿」を、寺院に改めたものです。本堂は、宇治殿の寝殿を仏堂に改造したもので、大日如来(だいにちにょらい)を本尊(ほんぞん※1)としました。現在観音堂が建っている場所です。また、翌年の天喜元(一〇五三)年には、阿弥陀堂(鳳凰堂)を完成させました。
この時代、末法思想が信じられていた中で、疫病の流行や飢饉、戦乱が発生したことから、人々の不安は一層深まっていき、その救いとして阿弥陀を信仰する浄土教の教えが広まっていました。永承7年が末法の第1年であるとされていたため、西方極楽浄土の姿を具現化したのが阿弥陀堂と言われています。
天喜4(一〇五六)年には、法華堂が建てられ、頼通の娘の四条宮寛子が多宝塔、子の師実が五大堂、養子の源師房が不動堂を建立しています。不動堂の東には大湯屋(おおゆや※2)と経蔵(きょうぞう※3)があったとされ、大納言源隆国が「宇治大納言物語」を書いたとされる南泉房は、多宝塔の南側の山裾辺りにあったと考えられています。多宝塔は、発掘調査が行われ、府立公園に基壇が復元されており、南泉房があったと考えられるところからは、独楽(こま)や毯打(ぎっちょう※4)の木球が出土しました。当時の平等院の境内は、西は県通り、南は山地までと現在の境内より広かったと考えられています。
※1…信仰の対象
※2…浴場
※3…経典を納めておく蔵
※4…ホッケーに似た古の遊び
問合せ:歴史まちづくり推進課
【電話】21・1602
■02 こんなときどうする?
◇「デジタル遺品に注意!!」
Q:スマートフォンを使用しています。最近デジタル遺品という言葉を聞きますが、終活として今から準備すべきことがあれば教えて下さい。
A:デジタル遺品とは、スマートフォンやパソコンに保存されている写真や文書などのデータ、SNSのアカウントやネット銀行の口座情報などインターネット上のサービスによって生じる情報で、所有者の死亡によって取り出せなくなったものを言います。
スマートフォンはセキュリティが強固で、パスワードや生体認証などの「鍵」が無ければ開きません。端末のロック解除方法、退会が必要なサイトの情報、インターネット関連の金融資産などをエンディングノートなどに記載して、遺された家族に伝えられるようにしましょう。
パスワードなどの誤入力を繰り返すと中身が初期化する設定になっている端末もあります。
■03 共生[かんたん]手話入門
あなたも簡単な手話を覚えてみませんか。
8月は旅行のシーズンですね。宇治市内を走っている鉄道会社の手話を覚えませんか?
▽JR
親指を伸ばし、中指を人差し指にからませた右手を前に出す(「J」と「R」の字形を組み合わせ、電車のように前へ出して表現)
▽京阪
両手の親指と人差し指と中指で三角を作り前に出す(電車のパンダグラフ)
▽近鉄
ひろげた左手の人差し指から親指側にそって右手掌をつけてなぞる(近畿地方を表している)
問合せ:障害福祉課
【電話】21-0419【FAX】22-7117
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